4<第一印象>

 くるしい。

 そんな四文字が頭に浮かんで、俺はふと気が付いた。

「う……あっちょ! おもっ!」
 自分の腹の上に、あろうことか、床に置いたはずのスポーツバッグが。

「ちょ、冗談……っ」
 思いっきり体をよじり、押しのけてそれを体の上からどける。
 軽くなった体で一体何が起こったのかと部屋を見回した。

「…………誰?」

 目に止まったのは、ソファの背もたれの向こうからこちらを冷ややかに見下ろしている制服の男。
 少し長めの髪を軽くスタイリング剤で流している、イケメンですって看板でもしょってんじゃないかと思うくらい顔が綺麗な野郎だった。

「…………鞄置いたの、あんた?」
「てめえが起きねぇからなー。今何時か分かるかオイコラ」
「…………」

 一瞬で血の気が引いた。

 何時だ!?

 風呂以外ははめっぱなしにしている腕時計に視線を落とす。
 …………五時十分。

「…………四時半っていつ過ぎたの?」
「四十分前だ間抜け」
「…………」

 そうだ、理事長室を訪ねる約束は、四時半だったんだ。

「……やっべ!」
 とにもかくにも今すぐに動かなくちゃいけない、一眠りのはずだったのに、何時間寝たんだ俺!?
 あわてて眼鏡のずれを直した俺は、そこであることに思い至った。

「……えっと、理事長室って」
 一秒足りとも時間に余裕はない。適当に探して人に訊きつつ訪ね当てる当初の計画は実行不可だ。
 訊けるのは目の前にいるこの不機嫌そうな男だけだ。ってか、その前にこいつ誰だ?

「このネクラ野郎……」
 イケメンくんが呟いた。ネクラって俺のことか? あ、目立たないようにと思って前髪をわしゃっと伸ばして、ずれ気味なふっとい黒縁のセルメガネとかかけてる俺ですか?
「えーっと」
「この俺を動かしておいて理事長室はどこですかだと? ふざけた質問もたいがいにしろよ。見た目がもっとマシなら犯してるところだぞ」
「…………」

 意味が分からない。

 葉姉ちゃん、これがいわゆる、貴女の好きだった全寮制男子校ってやつの、アレですか?
「なんとか言えこらネクラ」

「……どちら様デスカ?」
 とりあえず何か言ってみた。

「………………」
 言い方がまずかったらしい。不機嫌オーラが二割り増しだ。やべえ。

「たかだか生徒の一人呼び出すのにこの俺を使うなんて、よっぽどご両親様が大物らしいな。っつか身だしなみくらい気ィ使え。貧乏学生じゃあるまいし」

「………………」
 あまりな言われように、ちょっと腹たってきた。
 そもそも俺のご両親様は、例えるならそう、お空の星だ。

「……身だしなみ!」
 いきなりイケメンくんは怒気を含んだ大声を出した。
「顔洗って来いっつってるだろ! 寝起き丸出しで行く気か!? 俺が案内してやるっていうんだ、せめてもっとマシな見た目を努力しろ!」

「…………」
 言われ方は激しくムカっ腹がたったが、言われた内容は最もだったので俺は返事をせずに洗面所に向かった。
 焦ってたから気付かなかったけど、よく見たら制服も着崩れてたし、髪に寝癖もついてる。これは直すべきだろう。

「……くっそ」
 不覚だ。あんな高慢野郎に好き勝手言われるなんて。今後絶対何か言われそうな隙なんて見せねえ。

 洗面所について、蛇口から水をひねり出す。
 邪魔な長い前髪をあげるのに、眼鏡をそのままずらして頭の上にかけた。母さんが眼鏡使ってる時によくやってた前髪アップ方法だ。もっとも、近眼だった母さんと違って、俺の眼鏡は伊達だけど。

 水でじゃばじゃば洗い、寝起きだった顔がさっぱりする。
 適当に後ろ髪に水を含ませ、寝癖を手ぐしで何とかすると、タオルが荷物の中だったことを思い出した。
「あぁ、めんどくさい」
 一眠りなんかしなきゃ良かった。それが全ての元凶だ。

 濡れたままの顔で、タオルを取りにリビングに戻る。
 イケメンくんはさっきと同じ位置で、ちらっと俺に視線を投げかけたようだった。

 ……タオル、一枚くらいこっちの鞄にいれてたはず。
 そう思ってスポーツバッグのファスナーを開けてた手が、いきなりぐいっと後ろに持っていかれた。
「……何?」
 振り返ると、そこにイケメンくん。
「……佐倉夏樹、って名前の響きが可愛いなと思ったんだ」
「はあ?」
 突拍子もない話題に、冷たい声が返るのは仕方ないだろう。

「なのに実際目の前にしたらくたびれたぼろぼろで、期待外れだと思ってイライラしてたんだけどな」
「……悪かったな。残念な結果で」
 そりゃ、あの山道歩ききった後なんだから、ぼろぼろにくたびれもするっつーの。
「いや俺が悪かった。ちゃんと見もせずに、こんな可愛かったなんてな」
「…………はああ?」
 冷たさ二割り増しの声が出る。冷気とか出せたら奴の顔は凍ってたはずだ。
 寒い。寒すぎる。男に可愛いだって? 俺は女の子にカッコイイと言われたことはあっても、男に可愛いと言われたことはないぞ!

「いや、可愛いより綺麗なのか? あれだな、キレカワイイだ。お前、最強」
「いやちょっと待てなん、っていうかオイっ! 何だこの手!?」
 腰に回った手に気が付いて俺は叫んだ。同時に世界が回る。
「って!」
 ソファの上。押し倒されたらしい。
 ……って、押し倒され!? ええ!?

「ちょっ! はあ!?」
「道に迷ってるお前探すのに時間かかったことにしような」
「しような!?」
「イタダキマス」
「いただきっ? んむぅ……っ」

 ……キ、ききき、キス!!

 何がなんだか分からないうちに、俺の唇は奴の口によって塞がれていた……。