6<理事長室>

 や、本館に辿り着けたのはいいとしよう?

 さっき宮野副会長に説明してもらった一番大きなレンガ色の建物、そこの正面入り口を入ったエントランスに俺は今いた。
 綺麗に磨かれている床や、壁際に飾られている、何だかよく分からないけど高そうな置物たち。天井は吹き抜けで、シャンデリアとまではいかないものの、豪華な照明が釣り下がっている。
 正面には半円を描いた階段があって、その先の二階の廊下からはエントランスが見渡せるようになっていた。

「か、簡易地図くらいないのか……」

 てっきりあるだろうとタカをくくっていた俺は、理事長室を探す手がかりが全くないことに焦る。
 えっと、そうだ! 職員室! そこに行けば誰か先生が……

「駄目だ、職員室も分かんねえ……」
 エントランスからはきっちり左右対称に廊下が伸びていて、どっちに職員室がありそうなのか、見当もつかない。行ってみて反対でしたなんてことに潰している時間はないんだ。

 ……かといってうろうろしている時間もないわけで。

「……くっそ、違ったら違ったでどうにでもなるか」
 授業が終わってだいぶたつとはいえ、まだ五時過ぎだし、そのうち残っている生徒に出くわすはずだ。
 行動計画を呟いて、一歩踏み出そうとした時だった。

「お前が佐倉夏樹か?」

「……え?」
 尋ねられて、声のした方を見上げる。
 二階の廊下に、黒い髪の男が立っていた。

「生徒会副会長の相葉だ。高嶺の方からお前が勝手に一人で向かったと連絡があってな」
「……副、会長?」
「そうだ。ああさっき宮野の方にも会ったんだな。副は二人いるんだ。それより、理事長室にお前を案内するよう頼まれているんだ。一緒に来てもらおう」

 俺は一瞬自分の見た目を気にした。
 俺が顔を隠す理由は決して男避けとかではなくて別の理由だったが、さっき高嶺が俺の素顔を見て何かの認識を切り替えたらしいのは事実だ。
 一瞬動揺して眼鏡と前髪に手をあてた俺を、相葉副会長さんは静かに笑った。鼻で!

「逃げられたなんて慎也から連絡があるから、またいきなり襲いでもしてそれで逃げてきたのかと思ったが、その容姿だとどうやら違うようだな。なんでもいいが、面倒を起こすようなことは謹んでくれ。小学生じゃないんだからな」
「…………」

 この人! 正面きって君はブサイクだって言ってるみたいなんですけど!

 マジで、なんでこんな人が生徒会メンバーなわけ……?
 違うくないし、マジで襲われたし、しかも、会長がそういう人間だって副会長さん認識してるのに放ってるわけ!?
「……すみませんでした、理事長室までお願いします」

 ほんと罵詈雑言を浴びせかけてやりたいくらいムカついたが、どうやらこの相葉という男はさっきの高嶺よりはマシらしい。言ってる内容はともかく、言葉使いも汚くないし、何より男を襲ったりしなさそうだ。

 だってあの制服のきっちりさ!

 襟元までびしっとネクタイ締めてシワひとつないシャツ、今時染めてもいない黒い髪に、俺のと違って繊細なセンスあるデザインの眼鏡。

 不平を言ってる場合ではない。ただでさえ遅刻なのだから、これくらいの腹立たしさくらい我慢して頭を下げないとな。

「分かってくれればいい。こちらだ。付いて来い」

 いくぶんか柔らかくなった物言いに、俺は黙って二階への階段を上る。
 俺が上りきるまで待っていてくれたらしい相葉副会長さんは俺が顔をあげると黙って歩き出した。俺もそのあとに黙って続く。

「……君は、この学校とはどういう関係なんだ?」
「……え?」
 フイうちの質問に、俺はまず一度その意図を聞き返す。
 それに気づいたのか、相葉先輩は咳払いをして説明を始めた。
「編入生、というのは、全く例がなかったわけではないが、正直言って珍しいのでね。うちは毎年定員いっぱいまで入学生を受け入れて、実のところ部屋数にもあまり余裕がない。それを押してまで君を受け入れ、かつ、理事長室へ挨拶に来させるのに我々生徒会を使うなんて、よっぽど特別な事情があるんじゃないかと思ってね」
 生徒会をパシリに使わせたってことだろうか、寝過ごしたせいで。

「……すみません、お手数をおかけして。……うちの母と、ここの理事長の息子さんが昔からの友人らしくて、それで」
「ほお、友人」
「俺の転校事情がちょっと特殊なもので、心配してくれてるんだと思います」
「それだ」

 相葉先輩は何かに反応して声を鋭くした。
「君の資料を見せてもらった。ごく一般的な中流家庭の出身のようだが、転校理由が家庭の事情となっていて詳しく書かれていない。うちの生徒のデータはそんな中途半端な状態で登録されることはありえないからな。少し話を詳しく聞いてもいいだろうか?」

「………………」
 正直、俺の転校の理由なんかより、この相葉という名の副会長さんの、さっきとの態度の違いに俺は面食らっていた。
 言葉遣いよりも以前に、態度まで丁寧化している。

「あの、怒ってたんじゃないんですか?」
「ん? ……生徒会の迎えを蹴って勝手に一人で行動したことか?」
「はあ、まあ」
「君は謝っただろう。なら問題はないはずだ」
「…………」
「そんなことを気にしていたのか?」
 いや、気にしていたわけじゃないけど。
「もっと堂々としていた方がいい。卑屈さなど学ぶべき必要のあるものじゃない」
「……ですよねー」
 分かった。この人アレだ。

 天然だ。

 自分の感情を超ストレートに表現してるだけなんだ。相手に怒ってた時はほんとムカつく程敵意を見せるし言葉も強くなるけど、いったん謝られちゃえば怒りなんてすぐ消えて、しかも今までの空気とか、一旦悪化した雰囲気の気まずさとか全然気付かないタイプ。

「……えーっと、転校理由は……交通事故です。俺、長期入院しちゃって、リハビリ上がりでダブったんですよ。それで、気まずいし、どうせなら違う学校で一からやり直しをってことで」
 本当は同じ学校が良かったけれど、陽丘さんにはそう説明するように言われている。
 実際の理由は隠さなければいけないんだ。
 家族全員で事故にあって、俺一人生き残ったという事実も。

 それにどうやら、相葉の話だと、俺のデータは、本当に一般中流家庭の出身ってことになってるらしい。なら大丈夫だろう。この顔が目立たない限りは。

「……交通事故か。もしかして、相手のある事故だったのか?」
「え、まあそうですけど」
 俺は覚えてなかったけど、大型トラックに追突されて、乗ってた車が横転した事故らしい。
「それでその相手はそのまま逃げたりしたとか?」
「……なんで分かるんですか?」
 思わず訊いていた。その通りだったから。

「そうか。なるほど。いや、警察の捜査が続行中の件だからという理由なら、詳しい情報が伏せられているのも納得できると思ってね」
「……あぁ。たぶん、そうです」
 そういう納得の仕方をしてくれるなら、誤魔化しやすくていい。
 俺は適当に相槌を打った。

 相葉副会長に連れられて歩くうち、何人かの生徒にすれ違う。
 その誰もが、相葉副会長の顔を見て驚いたような表情をしていた。
 この学校、生徒会の生徒が有名なんだな。

 そんなことを思っているうちに理事長室に辿り着く。
 相葉先輩は俺を連れてきた旨を告げると俺を部屋の中へ入れ、短い挨拶だけしてさっさと退散してしまった。あっさりした行動に、ちょっと寂しくなる。

「夏樹くん。遅かったね、大丈夫かい?」
 部屋の中には陽丘さんと、初老の男の人がいた。部屋の応接ソファに座っていた陽丘さんと違って、立派な木製の事務机の椅子に腰掛けている。この人が理事だろう。
「すみません。いつの間にか寝過ごしてしまって遅れました」
「いいんだ、駅からここまで歩いて来たって聞いたよ。疲れたんだろう。病み上がりなんだ、仕方ないさ」
 陽丘さんは俺を安心させるように微笑む。整った顔なのに冷たさを感じさせない、保父さんとかが天職なんじゃなかろうかと思うような、柔らかい雰囲気。
 なんだか自分が小さな子供になったみたいだ。

「こちらこそ悪かったね、ちゃんとフォローができなくて。タクシーでも迎えに行かせれば良かったね」
「いえ、いいリハビリにもなりましたし、大丈夫です」
「そうかい? まぁ、今日は明日からの学校生活に備えてしっかり休むんだよ」
「はい」

「そうだ、紹介しなきゃね。こちらが僕の父。この学園の理事長だよ。父さん、この子が佐倉夏樹くん。樹香 ( いつか ) さんの息子さんだ」
 樹香っていうのは、母さんの名前だ。
「よろしく夏樹くん。ここでしっかり勉強して、友人を作るといい」
「はい。そうします」
 理事長は、陽丘さんと同じ温和そうな雰囲気で微笑んだ。

「あぁ、でも夏樹くん。仲良くなって信用のできる子ならいいけど、あんまり顔は見せないようにね。誰が気付くか分からないから」
「はい、分かってます」
 ……生徒会長に思いっきり素顔を見られたことは黙っていよう。気付かれたようには思えないし、大丈夫だろう。
「それから、一応保健室に君の入院中のカルテは渡してあるから、何かあったら対応してくれるようになってる。機会があったら挨拶に行くといい」
「分かりました、ありがとうございます」
「それから、分かってると思うけど、事故の詳しいことはあんまり話さないようにね」
「はい、大丈夫です」
「うん、そんなとこだ」

 理事長よりも陽丘さんがもろもろの説明をするのを、俺はただ頷いて了解の意を伝えた。