8<メロディ>

 朝のショートホームルーム、いわゆるSHRが終わってからは、周りでひそひそ交わされるオタクがどーのこーのといった陰口的なものが少し耳に届くくらいで、あんまり注目を浴びることもなかった。
 転校生の周りに群がって色々質問攻めとか、お坊ちゃま系のこの学校ではプライドが許されないらしく、みんな遠巻きにしているだけだ。
 もっとも、もっと俺が垢抜けて明るい感じだったらそういうのもあったかもしれない。

 ……次の授業が終わったら昼か。
 寮のコンビニではパンとかサンドイッチとかを買わなかったので、お昼は食堂に行って調達しなければいけない。
 席とかって早めに行かないとすぐ埋まる感じなんだろうか。一人ってちょっと利用しにくいよな。今度からコンビニで買って登校しよう。

 そんな風なことを考えてぼーっと過ごしていた三限目終了後の中休み、俺は次の授業の現国を準備し終えて手持ち無沙汰だった。

 そんなところに聞こえてくる、破壊的に音のズレた、リズム狂いのドレミ音階。
 思わず顔を引きつらせた俺は、すぐにその雑音の発生源が前の席の茶髪の奴であることを発見する。
 その席の横にはもう一人生徒がいて、どっかから持ってきた椅子に座って、タレ目のくせになんでか凛々しい顔を俺と同じように引きつらせていた。

「ひかるー。それ遊んでないよな? 本気だよな?」
「遊んでないっ。ホントのホントにちゃんと歌おうと思ってるよ! だって、ドミソーってきてファでしょ? で、ここが四部音符と八部音符のタイになってるから、一拍半伸ばして……、ド……ミ……ソ…………ファミ、ミ……えっと」
 どうやら見ているのは音楽の教科書らしい。
 後ろから見ただけで分かる小柄な肩を震わせて、教科書の楽譜を食い入るように見つめて何やらぶつくさ言っている。

「あー、どうしよう、八小節もあるのに二小節目が一番むずい! 今日も合格できないよ! あの先生音痴嫌いだから今日も相当嫌味言われる! どうしよう!?」
「……とにかく練習して、合格しないまでも、先週よりうまくなんなきゃ」
「だよね、だよね、うわ、六限目で良かった。練習しなきゃ」
 茶髪くんは一生懸命ドレミと合ってない音階を、どう拍取りしてるのか分からないテンポでぶつ切りに歌っている。
 それを顔をひきつらせたまま聞いているキリたれ目。

「…………」
 そういえば今日持ってきた音楽の教科書に、簡単なメロディーからややこしいのまで、短いのがずらーっと載ってる教科書あったな。
 あれをその楽譜の通りに歌って発表するテストがあるのか。
「…………」
 俺はたぶん問題ないだろうけど。

「ド、ミ、ソ……ファミファミファ……ミ、レ、あ、ここ何拍だろ」
「いやその前にその音レじゃなくないか?」
 二人は必死に変なことを言い合っている。
 いや、レ以外も相当外れてるよ。
 でも音階と音階の度数は合ってるから、最初の音取りさえできれば音痴ではないと思うんだけどな……。ただリズム音痴は確実だけど。
 なんか楽器で最初のドの音とればいいのに。

 そんなことを思いながら聞いていると、そんな簡単なことに気付かない二人にいらいらしてきた。
「え、え、え? いま間違えたよね半拍伸ばしすぎたよね?」
「え、俺に聞かれても」

「ねえ」
 とうとう、俺は声をかけた。
 びくっと反応して振り返る茶髪くん。……あぁ、なんだハーフだったのか。
 顔を見て思った。
 クラスに茶髪はたくさんいるのに、なぜかもの凄く髪の茶色が気になるなと思ったら、染めていない自然な茶髪だったからなんだ。
 男にしとくのがもったいないような可愛らしい目鼻立ちのはっきりした顔で、俺を見て固まっている。
「ご、ごめん、うるさかった?」
「いや別に? そんな驚かないでいいよ。それよりソレ貸して。何番目当たってんの?」
 フツーに身を乗り出し手を伸ばし、俺は茶髪くんの教科書を手にとった。だって自分の出すのメンドクサイ。

「……じゅ、十一番目って書いてあるやつ」
 茶髪君が答えて、隣にいたタレ目くんは何か言いかけてた口を噤んだ。
「十一番目……これか。ドーミーソーーファミファミファミーレー……。あのね、最初ちゃんと音とって。ドの音はド~~。分かった?」
「え、え、ドー……ド~?」
 俺の音に合わせて茶髪くんはドの音を出す。
「そうそれ。で、リズムは頭で拍考えながらやってたら間に合わない、きっと。好きな歌手の歌はフツーに口ずさめるだろ?」
「え、うん」
「だったら、これ、ドレミ音階としてじゃなくて、メロディーとして覚えた方が確実。俺が歌うから、それ聞いて覚えて」

 俺はたった八小節ばかりの簡単な旋律をドレミで歌ってみせた。
 その後についてくる茶髪くん。ニ、三回繰り返しただけで、あっと言う間にほぼ完璧に歌えるようになる。
 ようするに、楽譜を実際のメロディーに変換できなかっただけなんだ。
 よくいる、耳コピでピアノ弾けるのに、楽譜からは弾けませんって奴と一緒だ。

「うわー! すごーい! 歌える! うたえるよ! 合格できそうだよ! 助かったありがとう佐倉くん!」
 茶髪くんは嬉しそうに笑って俺の肩をぽんぽんと叩いてくる。
 タレ目はなんか不機嫌そうに睨んでくるかなと思ってみたら、案外そうでもなく、関心した感じで俺を見ていた。
「オタクはオタクでも音楽オタクか」
「えー」
 何その肩書き。

「いいよいいよ何オタクでも! 佐倉くんすごいね! あ、俺安達光あだちひかるっていうんだ。よろしく! あ、こっちは萩迫要はぎさこかなめね」
「よろしくな」
 なんと握手を求められて、俺は多少面食らいながらもそれに応じた。
 育ちの違うお坊ちゃんは違うな……。学校のクラスメイトと自己紹介の時に握手なんてしたことないぞ。
「俺、佐倉夏樹……」
「知ってるって。さっき聞いた」
「だよな」

「……ねえ、お前、苗字佐倉なんだよね?」
 ふと、隣から声をかけられた。
 くしゃっとしたどうやら天然ウェーブらしい髪が一番に目に飛び込んでくる、切れ長の目のお隣さん。いや、席がね。
 ってか、耳元を見るとイヤホンが。何かの曲を聴いている。教室でも一人で聴くくらいなんだから、音楽好きなんだ……。
「……そうだけど、あんたは?」
「俺は小野寺翔 ( おのでらかける ) 。ま、よろしく」

 そう言って小野寺は別段握手を求めることもせず、俺を視線から外し、また音楽に集中し始めた。
 なんだそれ?
「あはは、珍しいねぇ。でらちゃんが音楽聴いてる途中に話しかけてくるなんて」
 安達は面白そうにころころ笑う。
「でらちゃんはねー。ちょーストイック? って感じで、一回イヤホンしたら、滅多なことじゃ反応しないんだよ。佐倉くん面白いもの見れたね」
「……あ、面白いことだったの?」
「そうそう!」

 明るく相槌を打ってから、安達はふと真剣な表情をして、俺の耳元に口を寄せた。
「何?」
「佐倉くんて、歌上手そうだね」
「は?」
 急に振ってきた話題の脈絡が、なさ過ぎる。
「さっきドレミ歌ってたの聴いて、ちょっと耳奪われちゃった。ドレミじゃなくて、ちゃんとした歌うたってるの聴きたい……」
「えぇ?」
 ドレミだけで耳奪われたって、どんだけだ。
 まあ褒められて嫌じゃないけど。

「また今度な」
 ほんとにぃ? と安達が口を尖らせたところで、四限目開始のチャイムが鳴り、周りがわたわたと席に付き始める。
「あ、じゃあまた後でな、佐倉」
 萩迫がそう言って自分の席に戻っていった。
 ん? この流れって、もしかして友達ができた?
「じゃ、あとでね」
 にこっと笑った安達の顔は、すっごい可愛いかった。安達が前を向いてしまった後も俺はしばらくの間悩む。どうして三人も姉がいて、その三人のどの笑顔よりも今の安達の方が可愛いと思えたのか。

 きっと、姉ちゃんたちにとって俺が、笑顔を振りまかなくてもいい家族だったせいだ。