102<紐>

 気が付いたら苦しくて意味が分からなかった。
 誰かに、髪を掴まれている。後ろから。
 冷たい……水?
「ッはぁ! げほっ、ごほっ」
 訳が分からないうちに引っ張られ、投げ飛ばされる。
 硬い床に転がって、変なとこに入った水にむせながら、辺りを見回した。
 4人に囲まれている。さっきの小屋の中らしく、パイプベッドが二つに簡易キッチン、壁にかかったいくつかの工具と、洗面台が見えた。
 どうやら洗面台に張った水に頭を突っ込まれていたらしい。
 なんつーことをしてくれやがるっ。

「な、なん……」
 スタンガンのせいか、意識が飛んでいたらしい。逃げ切れなかったのだと思い知る。
「やっと正気になったか。飛んだままだと面白くねえもんな」
「ははは、訳わかんねえって感じだな」
「いーねぇ。その顔やっぱいいわぁ」
「……は、え?」
 顔?
 顔って、あ、眼鏡!
 かけていたはずの眼鏡がそういえば、ない。
 前髪も思いっきり後ろに流れている。
「……ちょ」
 お、思いっきり見られてるし! 認めたくない女顔、バレてる!
「なななっ」
 いつか光が言ってた言葉が急に脳裏によみがえった。
 ――人をリンチするような下衆はね、なっちゃんの顔見たら確実に押し倒す方に切り替えるよ。

「………………」
 一瞬言葉を失って周りを見たら、にやにやした笑いで見下ろしてくる。
「な、何考えてんだお前ら」
「あれー? 分かっちゃってる? もしかして、期待してるのかな?」
「アホか!!」
 焦りが声を必要以上に大きくさせた。
 狭い部屋の中、相手は4人で、スタンガンとかいう有り得ない武器まで持っている。
 縛られていた腕はなぜか解かれているものの、一人を殴り飛ばしたところで、残る3人に一斉に飛び掛られたらどうしようもない。
 考えても考えても、打開策が思い浮かばない。
 正面切っての強行突破が不可能なら、何か、油断を誘うような……何か。この小屋を出て、走って、逃げる……には……。
「どうする? 始めちゃおうか」
「あぁ。すぐ戻ってくんだろ」
「さんせーい」

 何もいい案が浮かばないうちに、4人は事の開始を決めてしまう。
 話の内容的に、どうやらまだ仲間がいるらしい。
 そういえば、さっきまでもっと多かったような気がする。
「ちょ、ちょっと待て……、何する気……」
「分かってんじゃないのー?」
 4人が距離を縮めてくる。
「ちょっ、待て! お前らっ、ぜ、前科持ちになりたいのかっ!?」
 何か案を思いつくまでの時間稼ぎになればと、会話を試みた。
 けれど。
「ぐだぐだ言ってないで。覚悟決めなよ。ほら、自分で脱いでみせな」
 そいつは有り得ないことを言って、スタンガンを目の前にチラつかせた。
「…………」

 頭が真っ白になる。
「………………何、言って」
 別の奴が、ハンディカメラみたいなのを向けてきた。
「だれが……っ」
「あーそう。また痛い目みたいっての?」
 バチバチと、放電の音が耳に突き刺さる。
「………………」
 あ、頭が……、やばい、フリーズして、……やばい。
 案とか、全然考えられない。
 誰か。どうしたら。
「……たか」
 たかみね、と口が勝手に呟いた。

「あはは、会長呼んでんの?」
「ざんねーん、こんなとこ、会長どころか誰も来ねえよ」
「…………」
 そうだ……、高嶺は、外に、用事があるって。
「ほら、脱いでみせなって。ちゃんと撮っといてあげるから」
「ふ、ふざけんな!」
 怖がったら駄目だ。相手の思うツボだ。
「ほー? なんだ、無理矢理引っぺがされるのがお好みらしいぞ」
「だ、誰の話だ! お前らアホか!? 気に入らないなら殴ればいいだろ! 陰湿なことしてんじゃねえ! 男のくせにっ、恥を知れ!」
 そういうことをされるくらいなら、ボコボコにされた方がまだマシだ。
 できるだけ挑発して、そっちの思考から逸れさせようとするのに、焦った俺のいっぱいいっぱいな言葉では相手のにやにやを消せない。

「わーかった。酷くされたいんだ」
「待てよ!」
 何がどこをどうしてそうなる!?
「オッケー。お前にはさっき蹴られた恨みもあるし、ご要望とあっちゃー仕方ないねー」
「ちょ、まっ」
 伸びてきた腕を反射的に振り払う。一歩後ろに下がるともうベッドで後がない。
 バチバチと鳴らしてくるスタンガンを突き出されて、避けようとしたらベッドに倒れこむ形になってしまった。
 制止を叫ぶ余裕もなく、放電の光を避けて更に後ろに後ずさる。
 背が壁について逃げ道がなくなったところでそいつはスイッチを押すのを止めた。

「かーわい。必死で逃げちゃって」
「そりゃー逃げるだろ」
「さっきすげー痛そうだったもんなぁ」
「…………」
 もう無理だ。
 この場から今すぐいなくなりたい。
「でも安心していーよ。とりあえずコレはしばらく止めておいてあげる。意識飛ばされたらつまんないもんなー」
「な、な……」
 シャツの裾に手を伸ばされて、とっさにさせまいと腕を掴んだ。
「もう、邪魔だって」
「はいはい。大人しくしようなー」
「やっ、やめろっ、離せっ!」
 伸びてきた複数の人間の腕は、俺の腕だけじゃ防ぎきれない。だって俺の腕は二本しかない。

「嫌だ!! 離せくそっ!」
 足を振り上げて圧し掛かろうとしてくる相手を牽制しようとするも、あっと言う間に押さえ込まれてしまう。
「ざけんな! 馬鹿! 死ねっ!」
「暴れんなって」
「いい加減諦めろよ」
 こっちは必死で死に物狂いなのに、余裕な態度で一蹴されて、悔しすぎて視界が滲んできた。惨めすぎる。

「うわ、何だこれ」
「ひっでー」
「ちょー、佐倉ちゃん、これどーしたの?」
 4人がかりで押さえつけられて、シャツをめくりあげられて、事故の傷跡を見られて何だこれと聞かれるとか、マジで最悪すぎる。
「……っ」
「あ、そういえば転校生、交通事故で入院してダブったとかいう話じゃなかった?」
「あー、そういやそんな話流れてたな」
「そんときのか。いったそー」
「……はなせっ」
 もう充分だ。……充分すぎるくらい、嫌な思いをしてる。
 これ以上とか、もう有り得ない。

「どうする縛る?」
「紐ないか?」
「その辺にあんだろ」
「あー、ビニール紐がー確か」
「あった、あった」
「……っ、や、めろ……! やめろって!!」
 必死で暴れてるのに、シャツは簡単に剥ぎ取られ、あっという間にベッドのパイプに腕を縛りつけられた。
 きつく巻かれたらしく、食い込んで痛い。

「いい格好ー」
「もったいねーなー。傷さえなけりゃ、キレーな肌してんのに」
「傷跡が神経敏感なのって、やっぱほんとなのかなー」
「………………」
 有り得なさ過ぎて、何も言葉が出てこない。
 ……奇跡を待つ以外に助かる道って、もしかして、もうないのか?
 ベッドに腕を縛り付けてる紐は、自然になんて緩みそうにない。
「……ば、馬鹿じゃないのか」
 心底そう思った。

「佐倉ちゃーん。言葉には気をつけた方がいいよー? 俺らの気分ひとつで君のこと、どうにでもできちゃうんだからさー」
「………………」
 分かった。もう分かった。
 黙りこくりながら俺は考える。
 無理ならいい。
 逃げようとか、助かろうとか、考えるから焦るんだ。
 無理ならもう諦める。
 早く終わればそれでいいことにしよう。目ぇつむって何も聞かないようにして、こいつらが早く興味失くすように詰まらない反応に終始しよう。
 それが、今のこの状況で俺が尽くせる最善策なんだ。

「あれ、どしたの? 観念したの?」
 髪を掴まれて、ぐっと顔を上げさせられる。
「大人しくなっちゃって」
「おい、戻ってきた」
 入り口の側に立ってる一人が言った。
 ドアが開いて、2人、中に入ってくる。……計、6人だ。勘弁してくれ。
「おー、ご苦労さん」
「いいのあったか?」
「あったあった。適当にいっぱい持ってきたぜ」
 がさごそと紙袋か何かの音がして、思わず視線をそっちに向けた。
 直後、がちゃがちゃと袋の中身が床にぶちまけられる。

「………………」
 絶句するしかなかった。
「うーわー。詰めてきたねぇ」
「だって何がいいか分かんなかったんだもんよ」
「試せばいいじゃん、何でも」
「ウケるわー、お前ら」
「安心しろ、ちゃんとクスリも持ってきた」
「………………」
 目の前に散らばったもの。
 それは何と言うか、大型食糧雑貨店とかのアダルトコーナーにあるような、そういう類の、もので……。

「あはは。佐倉ちゃん、固まってるし」
「そりゃビビるわなー」
「持って来すぎだっつーのな」
「いいわー、その顔」
 ……や、やっぱり前言撤回だっ!
「……っ、ざけん、なっ」
 緩みそうになかろうが何だろうが、この紐、絶対に緩んでもらわないと困る……!
 逃げたい!
 絶対、逃げたい……!!