109<塔>

「…………な」
 泣くまいと強く思ったら、言葉はつっかえたものの、涙は引っ込んだ。
「…………は、はずとかっ、思い込みとかっ、どういう……意味っ」
 代わりに沸いて来たのは、ちょっとした……、怒り、に近い……。
「……俺がっ、高嶺、好きなの……が、思い込み……!?」
「ハッキリ怒るねぇ……」
 宮野先輩は困ったような笑顔を向けてくる。
 争うつもりはないという意図なんだってことは、分かる。
 けど話の内容が既に、難しいわけで。

「……お、怒りますよ! ンなこと言われて、なんで黙ってなきゃいけないんですかっ」
「…………うん。そうだよね」
「そうだよねって……っ、何が言いたいんですか、何を言いに来たんですかっ?」
「……あー、んー」
 先輩は眉間にしわを寄せて天井を仰いだ。
「もう、ごめん。ちょっと話ができればって思ってただけなのに、すげー深刻になってる俺、ごめん」
「せんぱ」
「だからさ、慎也を許しすぎだって。何やってもお前のやったことなら文句ないなんて、ただの依存だ。そのまんまじゃ良くない。それをほったらかして佐倉ちゃんが傷付くことになるのを横で見てるのは嫌だ」
「………………」

「とにかく俺が譲れない最低限のラインは、佐倉ちゃんのその、自己犠牲的な? んー、なんか違うな……あー、とにかく、なんかその、着弾回避行動をしない感じ、なんか、そういうの。……分かる?」
「…………チャクダンカイヒコウドウ……」
 先輩の例えは、何と言うか、こう、……微妙だ。
 なんとなく分かるような、全然分からないような。
「……俺、べつにMとかじゃないですけど」
「いや、それはそうなんだろうけどっ」
 あぁ、なんか怒る気力を削がれた気がする。
「結局、どういう意味なんですか。思い込みって、なんでそんなこと」
「…………」
 宮野先輩は一瞬視線を床に落とした。

「……違和感感じるんだ。ハッキリこういう意味だってのはないんだけど……。でも佐倉ちゃんみたいなタイプ初めて見るよ」
「違和感……?」
「……うん。…………なんか、ごめん、言い方これしか思い付かないんだけど。……塔の上で王子様待ってるお姫様的な」
「…………」
 なんだそれ。

「いや姫ってのは別に、そこを強調したいわけじゃないよ? なんでもいいんだけど。とにかく塔の上なわけさ。で、訪ねてくれるのが慎也で、お姫様はその王子様を待つ日々を送ってる」
「……お姫様は助け出されるんじゃないんですか」
「それがお姫様が出てこないんだよ、もう鍵は開いてるはずなのに」
「…………」
 先輩の声はワントーン低い。
「……訪ねてくる王子様をただ待ってるんだ」
 ぼそぼそと、消え入りそうな声で先輩は言う。なんか沈んでるみたいだ。

「外の世界が恐いのかな。でも出てこなきゃ、いつまでたっても、お姫様の世界には塔に来れる王子様しかいないまんまだ。そしたら、自分の世界にいるたった一人を否定するなんて思い付きもしないよね? 否定したら一人になるから。不満なんてあるわけないと思い込んでるって感じ……?」
「……なんで、そこ疑問系なんですか」
「例え方は微妙だけどさ、あんまり間違ってない気がするよ」
「……と、とりあえずなんで塔の上なのか聞いていいですか」
 なんか疲れてきたぞ、俺。
「佐倉ちゃん、……俺はね、佐倉ちゃんの入院先、誰も教えてくれなくても根性で調べて会いに行くよ」
「…………………………」
 思わず瞬きも忘れて先輩を見た。

「まぁ俺は、佐倉ちゃんのこと、そういう意味で好きだからね。それくらいしなくてどうするんだって話なんだけど。……あの二人もそうだよ」
「……ふた、り」
「一年の子。安達くんと萩迫くんだっけ。あの二人も、絶対会いに行こうとするよ。一昨日佐倉ちゃんを探し回ってた時、すっごい必死だった。今日もね、休み時間に高嶺のとこ訪ねに来てたよ。佐倉ちゃんの様子どうかって。直接連絡したいけど、無理に大丈夫って言わせちゃいそうで怖いって、そんな心配までしてた」
「………………」
「慎也、塔の鍵は開けてくれたでしょ? あとは佐倉ちゃんが出てくるだけだよ」
「………………」
 気が付いたら先輩に手を握られていて、それでやっと、瞬きを思い出す。

「佐倉ちゃんはいい子だ。必要に思ってる人はいっぱいいるし、これからも増えるよ。佐倉ちゃんの一番近くにいるのが慎也なのは分かってる。否定もしない。けど、慎也だけじゃ、慎也に依存するしか生きられなくなるよ。ホントは慎也がそれに気付いて佐倉ちゃんを塔から引っ張り出してやんなきゃいけないんだけど。今のとこ舞い上がってて役立たずだから、自分でどうにかしなきゃ。だからとりあえずさ、慎也に我がまま言うとこから始めたらいいと思う」
「……我が、まま?」
「そう、我がまま。今日とか昼一人で寂しくなかった?」
「え、で、でも、仕事……」
「あー、うん。俺、前に慎也を支えてあげてって言ったけど。忙しい奴だとかさ。でも、具合悪い時くらいは逆に支えてもらう側で全然いいって。寂しいから帰ってきてって言えば帰るよあいつ」
「んな、そんな、甘えたこと……」
「なんで甘えないの?」
「あ、甘え……」
 なんで甘えないの、と、言われても……。

「あまえ……甘え、ない、のは……え」
 だって、俺別に、寂しいとか、ちょっとくらい、平気だし……。
「……だって、負担……なりたく、ない、し」
「負担? あんなに佐倉ちゃんラブな慎也に、会いたいから帰ってきてもらうのが、負担? あぁそうだよな寂しいよな今すぐ帰るぜ夏樹ー、って思うと思うけど」
「………………」
 確かに、そんな気もする。
「ほんとは言われなくても察してあげて帰れよって思うんだけど。まぁ、さっきから再三言ってる通り、ここ最近舞い上がってて冷静じゃないからさぁ」
 だから俺、我慢ならなくて来たんだ、と先輩は言った。

「とにかく、佐倉ちゃんのお見舞いに行く奴は慎也一人じゃないからね。そこんとこ分かった上で、自分の不安とか不満をないことにしないで、ちゃんと目を向けて、それを慎也に言うこと。分かった?」
「…………はい」
 なんかもう、先輩いい人すぎて、頷くしかないじゃないか。
 一昨日は、俺を高嶺から離したいとか言っててもっと色々こじれるんじゃないかと思ってたのに。
「……先輩って、Mですか」
「なっ、何!? いきなり!?」
「いや、なんか……今のアドバイス、それこそ先輩にとって自己犠牲じゃ……。あいや、えっと、すげえ意識過剰な発言……うわ」
「だって、困るって言うからさー……」
「え、えー、っと」
 目が泳いだ。

「完全に下心なしで言ってるわけじゃないから気にしなくていいよ。俺がアドバイスすることで、佐倉ちゃんの高嶺に対する盲目的な感じを取り払えて、健全な恋愛関係になれば、普通に倦怠期とかもあるだろうし、俺が目に入ることあるかもしれないとか? 思ってるし」
「…………」
「まぁ不健全な恋愛関係でいてくれた方が崩れるのも早い可能性あるけど、でもそれで佐倉ちゃんが傷付くのは本意じゃないから、その方法はやめたんだ。それに今頭ごなしに別れた方がいいって迫ったってそんなのは聞く耳持たないっしょ?」
「…………えー」
「俺は佐倉ちゃんを泣かせない。そう決めたんだ。だから待つよ」
「………………」
 ハッキリ言われて、何も言葉を返せなかった。
「これ、俺の正式な告白と、決意表明ね」
「……え…………っと」
「愛してます。絶対泣かしません。幸せにします。俺のこの言葉、端っこでいいから心に置いといて」
「…………」
 うわぁああー……