129<修羅場>

「てめぇっ!!」
 廊下に寝転がってた俺の耳にドカドカと大きな足音が飛び込んできて、俺は反射的に目を閉じた。
 だから具体的に何があったのかは目撃しなかったけど、音で何があったかは大体想像がついた。
「……っか、……みね」
 そろりと目を開けて顔をあげると、険しい顔をした高嶺が俺を振り返って表情を歪ませ、慌てたように駆け寄ってくるのが見えた。
「夏樹っ!」
 抱き起こされた俺は、高嶺の首に腕を回す。
「なつきっ、ん」
 そしてそのままキスをした。

「………………」
「……ん……む、……はぁ」
 長くて短い沈黙の後、高嶺の唇を解放する。
「……はぁ……、あぁ」
 やっと、息が、苦しくないところまで落ち着く。
 ……いや、いきなりキスするのもどうかとは思ったけど! 息が収まらないとまともに話もできないんだから!
「っは! 治まったのかよ、会長相手だと!」
 高嶺の向こうからそんな五十嵐の声が聞こえてきた。
 ちらっと視線をやると、憮然とした顔つきで頬を押さえている五十嵐の姿が目に映る。
 どうやらというか何というか、やっぱり高嶺に殴られたらしい。

「夏樹……っ、お前、口……っ」
「え?」
 高嶺が何か焦ったように呟いて俺の顎に手をかけてきた。
「口切ったのかっ? 血の味が……っ」
「あ、いやそれはっ」
 五十嵐の指を噛んだ時のだ。
 慣れてしまったせいか、自分じゃもう味が分からない。
「はっ、安心しろよ、俺のだそりゃあ」
 どうでもよさげな五十嵐の声がして、視線を向けると、血の出ている指を五十嵐はひらひらと振って見せた。
 ……いやちょっと待て五十嵐。
「いや、あの、それは……」
 俺の口の中の血の味がお前の指の怪我のせいってことがどういう意味に取られるか、考えて言ったのかよ?

「てめぇ……、夏樹に何しやがった」
 ドスの効いた声で高嶺が言う。
 背中に俺をかばう様に五十嵐と対峙した高嶺に、俺は焦った。
 この二人がマジで殴り合いとかになったら俺はどうしようもなくないか? 止められる気がしない。
「高嶺! なんでもないから! 俺は大丈夫だ、ちょっと発作起こしてっ」
「なんでもない訳あるかっ」
「たかっ」
「話せよ、何をした? 夏樹が発作起こすようなことをしたってわけか?」
「………………」
 五十嵐は無言だ。
 とりあえず何か、心底うざそうな、引きつった顔で沈黙している。

「たかみねっ、違う、そういうんじゃ……っ」
「いいからお前はっ」
 言いながら振り返ってきた高嶺が、はっと顔を強張らせる。
 それから両手で顔を挟まれて、左頬の横髪を耳にかけられた。
「血が出てんじゃねぇか!」
「あ、えっと……」
 そうだ、五十嵐に噛まれたんだ。
「ちょ、ちょっと喧嘩になってっ、それでっ」
「喧嘩で耳噛まれるとか意味分かんねぇからな!」
 そう言われると反論できない。
 だって高嶺の言っていることは物凄くまともだ。

「っだー、めんどくせぇ。いいよもう。気が済むまで殴れよ会長。確かに俺は頭に血ぃのぼってたしな!」
 投げやりな五十嵐の言葉に高嶺が顔をぴくりと引きつらせる。
「はっ、いい覚悟じゃねぇか……」
 高嶺はぴくりと眉を吊り上げて、手をぱきっと鳴らす。
「よ、よせよ高嶺! 五十嵐はそんなんじゃないって!」
 俺は慌てた。
 というか、既に高嶺一発殴ってんじゃねぇか!
「いいって佐倉。てめぇが俺庇うとなんつうか余計ややこしいんじゃねえの? それに俺は殴られてぇ気分だしな」
「な、何言ってんだよ!」
「いやマジで。俺はどうかしてた。有り得ねぇんだよ、ホモみたく男のお前に血がのぼるとか」
「なっ」
「殴ってくれ」
「馬鹿言ってんな!!」
 高嶺のシャツを掴んで行かせないようにしながら、俺は思いっきり叫んだ。

「男三人で修羅場とかもうマジ有り得ないし恥ずかしいからやめてくれ!!」
 心の底からの叫びを俺は必死で訴えた。
 すると沈黙が返ってくる。
 見れば、俺の方を見てとりあえず動きを停止している二人。
「……お前、夏樹……、そこつっこむ段階はとうに過ぎてないか……?」
「え?」
「はっはっは、そうだよな、普通その感覚がマトモだよな。俺もホモ学校に毒されてきてんなー」
 二者二様の反応が返ってくる。
「男か女かなんて関係あるか。恋人に手ぇ出されて黙ってられるかよっ」
「だから殴られてやるっつってんだろっ、うぜぇからさっさとやれ」
「てめぇ」
「ああぁあもう!!」

 苛立ちが最高潮に達した俺はその苛々を叫び声に乗せる。
「分かったよそれで気が済むんならやれよもう!!」
 気分は超投げやりだ。
「なつき」
「けど俺は五十嵐と友達やめねえからな! その後大丈夫かって聞くし手当てもする! 俺のせいで変なことなってごめんって謝る!」
 宣言してから俺は高嶺のシャツを離した。
 だが高嶺は動かない。
「……どしたんだよ」
「お前は何が起こったのか理解してないんだな」
「へ?」
 どういう意味だ、と問いかける前に、高嶺は行ってしまった。五十嵐の方に。
「あっ」
 五十嵐が殴られる、そう思って思わず顔が引きつった、直後。

「あ!?」
 信じられない光景に、変な声が出た。
「うぇええ!?」
 高嶺が、……高嶺がっ!!
「えええええっ!!?」
 五十嵐にキスぶちかましてんのはなんでだ!?
「ちょっ、ちょ……っ」
 あまりのことに驚いたのは俺だけでなかったらしく、一瞬呆けていた五十嵐は我に返ったように暴れ始める。
 そりゃだってベロチューだ。ホモ嫌いの五十嵐が恐慌状態に陥るのも無理はない。
 けど高嶺は無理矢理奪うのが得意なようで、おそらく無理矢理キスなんかされたことない五十嵐は、動揺もあいまって押さえつけられているのをどかせないでいる。

「ちょ……いやだ……、たかみね……なに……」
 どうしていいか分からない俺の声は震えている。
 なんで高嶺が五十嵐にキスするんだ。
 なんで。なんで。
 そりゃ五十嵐にしたら最高の嫌がらせだろうけど。俺の目の前でそんな。
「やめろよ……、もう、もうやめて……高嶺……っ」
 やめない高嶺。
「たかみねぇえ!」
 ぎゅうっと目を瞑って叫んだ。