130<ダチ>

「……っはぁ」
 高嶺のため息が聞こえて顔をあげる。
 五十嵐を解放した高嶺が乱暴に口元をぬぐっているところだった。
「……たか」
「恋人が他の奴とキスなんて、理由はどうあれ平気じゃないだろ」
「………………」
「今のお前みたいに、俺はショックだったんだ」
「…………っ」
「なのに問答無用で五十嵐の味方みたいな言い方されたら、俺だっていじけたりするっ」
「…………」
 俺は固まってしまってハイともイイエとも言えない。
「だからこれはちょっとした仕返しだ、悪かったなっ」

「…………はぁぁぁ」
 ため息と共に体から力が抜けた。
「もう……もう……、俺……高嶺がおかしくなったのかと……」
「どういう心配の仕方だそれ」
「てめぇら……」
 ふいに、地の底から響いてくるような掠れ声がした。
 五十嵐だ。床に沈んだまま、ぴくりとも動かない。
 相当にダメージが深いらしい。
「さ……サイアクだ……」
「お前には相当ダメージでかかったらしいな。まぁ、一発はこれでチャラってことにしてやるよ」
「……な、殴られたほうがよっぽどマシだ……」
 情けないことこの上ない声で弱音を吐く五十嵐がなんだか面白く見えて、俺は思わずふへっと息を吐いた。

「夏樹? 大丈夫か?」
「あぁ、いや……、なんか、気ぃ抜けて……」
 ゆるゆると笑いがこみ上げてくる。
「ははは……、も、俺ら……何やってんだ……はは」
「笑ってんのかお前は。もうちょっと自分の状況を把握しろ」
「だ、って……もう、もう、終わったろ……? もう、大丈夫なんだよな……?」
「……あぁ」
 高嶺はゆっくり頷いた。
「大丈夫だ。安心しろ」
「はぁぁ~」
 二度目のため息と一緒に、俺は脱力感に身を任せた。

「夏樹っ」
 高嶺が駆け寄ってきて抱きとめてくれる。
「どうした、大丈夫か!?」
「あぁごめん。ホント気ぃ抜けただけ……」
「気ぃ抜けたって……、お前具合悪かったんだろっ、なんで五十嵐なんか部屋にあげて……っ」
「あぁそれ……」
 高嶺に言わなくちゃ始まらないことだよな。
「丸山先生にさ……」
 さっき言われたことを高嶺にかいつまんで話す。

「五十嵐が……お前のボディーガードになる……?」
 高嶺の眉がぴくりと跳ねた。
「……いや、普段は光と要といるし、お前もいるし、みんながどうしても駄目な時は、部屋が隣だしってことで」
「駄目だ! お前とコイツを二人になんて今後絶対させるか!」
 俺の肩を抱いている高嶺の腕にぎゅっと力がこもった。
「いや、何そんな大げさなこと言って」
「お前っ、この耳の噛まれ跡が本気でただのケンカに見えると思ってんのか!? お前も五十嵐の指噛んだって、口に指突っ込まれたってことだろうが! 馬鹿でも分かるぞそんな簡単な推測!」
「……まぁ、殴り合いではなかったけど」
「襲われたってことだろ! 自分のホモ嫌いも忘れる程お前に興奮した男を傍になんて置けるかっ!」
「…………」
 身も蓋もない表現に俺はつい黙り込んでしまう。ホモ嫌いの男に興奮された俺の立場って……。

「聞いてんのかっ」
「安心しろよ会長さん。その件なら俺の方からお断りだ」
「あ?」
 五十嵐の不機嫌そうな声に、高嶺は条件反射のように振り返った。
「えっ、ちょ、五十嵐?」
「こんなネコオーラ駄々漏れな奴なんか、会長がどうこう言う前に俺が近付きたくねぇよ」
「なっ」
「ほお、ホモ嫌いを思い出したか。今度からは簡単に自分の信条を忘れないでもらいたいな」
「ぁあ?」
「ちょっと待て!!」
 俺は二人の険悪ムードに割って入る。
 当然だ。
 聞き捨てならないことを言われて黙っていられるか。
「ネコオーラって何だよ!! だれがンなもん駄々漏らしてるって!?」
 冗談じゃない、それをスルーできる程俺はプライド捨ててない。
 いや意味が理解できてる時点でもう一般人じゃないなぁとは思うけど!

「ふざけんなてめぇやっぱ俺が殴る!」
「おいっ、夏樹っ」
「止めんなっ」
「いや止めねぇけどっ」
「だったら離せよ!」
「ぁあー? 何キレてんだよてめぇ。誘われたと勘違いされてもしょうがねぇようなカオしたのはてめぇだろうが」
「誰がだ!?」
「はっ、何いきなりムキになってキレてんだか。もしかして実は本気で誘ってたとか? 図星さされて逆上か?」
「てめぇええ!」
「夏樹落ち着けっ」
「お前自分だって殴ろうとしたくせに止めんな!」
「お前だって止めただろうが!」
「いいから離せっ!」
 もがくものの、分かってたことだが俺の力では高嶺を振りほどけない。

「なんでてめぇはさっき今みたいにキレなかったんだよっ、そうすりゃ少なくとも普通のケンカには留まったろうによ!」
「なっ、そっ、んなことっ」
「会長の女になって腑抜けちまったか!? 可愛らしくしおらしく女みたいに震えてみせれば大事にしてもらえるって覚えたっつうことかよ!?」
「だっ、れが!」
「五十嵐てめぇそれ以上言うなら俺が相手にっ」
「高嶺は黙っててくれ!!」
「なっ、夏樹っ?」
 冗談じゃない。
 俺は高嶺を頼ると決めたけれど、それはこういう場面じゃない。不特定多数からの、高嶺と別れろ系の圧力に関することだけだ。このケンカは、高嶺には頼らない。

「確かに俺は高嶺の恋人にはなったけど! 高嶺の女になったつもりはねぇ! 見損なうなよ!」
「はっ、だったらてめぇ、なんだったんだよさっきのビビリっぷりは!? 腑抜けてなくてあの態度だったならわざと煽ってたとしか思えねぇぞ!?」
「あれはっ、あれは本物の俺の弱さだ……!!」
「は……っ、なんっ」
「俺自身だって認めたくないっ、あんまりっつうか全然納得してない俺の弱さだよ! 完全に素だ! 本気でびびってた! 高嶺の恋人になってなくても同じ反応してたよ馬鹿野郎っ!」
「な……っ、何言ってんだお前……っ!」
「悪かったな煽っちまったみたいで! けど真面目に本気で誘ったつもりなんてねぇからな! 今後高嶺以外誘うつもりも毛頭ないから万が一俺がまた何か情けない態度取ってもそのこと頭に叩き込んどいて勝手に勘違いすんじゃねぇぞ!!」
「あっ? ぁあ!?」
「夏樹お前今凄いこと口走ったな」
「いいから口を出すなっ!」
 俺は今五十嵐のこじ付けを論破するのに必死なんだ。

「ていうかお前っ、仮に俺が本当にちょっと腑抜けになってたとしてもっ! 近付きたくないってどういうことだよ!?」
「だっ、……今さらだろうが! 俺はホモが嫌いなんだよ!」
「お前が俺ならホモでも許せるっつったんじゃねぇか!」
「そっ、そりゃ言ったが……っ」
「それってホモでもホモでなくても関係なく俺のことダチだって認めてくれたっつうことじゃねぇのかよ!?」
「な……」
「なのに俺の態度がちょっと情けなかったからって、あっという間にダチ失格なのか!?」
「そ……れはっ」
「悪かったよ! お前ホントはホモが嫌いっつうより女々しくて情けない男が嫌いなんだよな!? それがちょっとイコールホモって結びついちゃってるだけで! 俺の態度が癇に障るくらい弱かったのは謝る! でも俺はこの自分の弱さを諦めてるわけじゃないんだ! このままでいるつもりはないっ! 強くなるからっ! だからっ」
「………………」
「だから簡単にダチ失格なんて言わないでくれよ……!」

 高嶺の腕から力が消えている。
 俺に、もう殴ろうって気が消えているからだ。
 俺はもう五十嵐を殴ってやるなんて思ってない。
 やりなおしたいと思ってる。
 せっかく仲良くなれたと思うのに、こんな、俺の弱さのせいで疎遠になるとか、絶対嫌だ。
 友達少ない俺の友達欲しさ、なめんなよ。