133<苦手>

 瑠璃川先輩曰く、高嶺と俺が付き合っていることに対する面白い反応が相変わらず収まらないまま週が明けた。
 
「もう、みんななっちゃんのことよく知らないくせに勝手なんだからー」
 体育の着替えの為に保健室に向かう途中、すれ違う生徒の反応が納得いかないらしい光が握ったこぶしをふるふる震わせて唇を尖らせている。
「……まぁまぁ」
「なっちゃん悔しくないのっ? みんななっちゃんのこと会長の恋人に相応しくないとか言ってるけど、相応しくないって言えるほどなっちゃんのこと知らないじゃない! 知ろうともしないくせに勝手だよ!」
「……まぁ、知ろうとされても困るんだけどな」
「それはそうだけどー!」
 光は不服そうなまま保健室の扉をがらがらと開けた。

「お邪魔しまーす!」
「こら保健室は静かに……って、あ、君たちか、あぁえーっと」
 書き物をしていたらしい丸山先生が光の大きな挨拶に注意しようと顔をあげて、それからなんだか微妙な反応に切り替わったのが光の肩越しに見えた。
「そうか、君たちのクラスは次体育だっけ……」
「どうかしたの? 丸ちゃん?」
「いや、えっと……」
 丸山先生が何か気まずそうにして奥のベッドの仕切りにちらっと視線をやったのを見た。
 ベッドがひとつ、仕切られている。

「あ、ごめんなさい大きな声だして……、寝てる人いたんだ」
 光も気付いたのか、小さな声で謝って首を縮める。
 けれど俺たちはどうやら的を外したらしく、丸山先生は引きつった顔のまま席を立ってこっちに歩いてきた。
「……ごめん、その、……いま、綾瀬くんが具合悪くて寝てるんだ……」
 その一言で、丸山先生の態度の理由を理解する。
 そりゃ俺たち二人の鉢合わせは気まずいに決まってる。
「だからその、眠ってると思うから、そっと静かに着替えてくれるかな……ごめんね」
 ほとんど囁きに近い声で丸山先生は申し訳なさそうに言った。
 でも申し訳ないのは俺の方だろう。
 俺のことでこんなに先生に気を使わせて。

「いや俺、トイレで着替えます」
「えっ、いやそこまでは別に大丈夫だよ、眠ってるだろうから大きな声で話さなければ起きないだろうし」
「いや、えっと……俺が……ごめんなさい」
「え?」
「すみません……、えっと……できればその……忘れてたい方向なんです」
「え、ごめん何をだい?」
「あの、綾瀬のこと……」
「…………」
 丸山先生は少し驚いたような顔をした。
 自分でも、そんな言葉が出てきたのがちょっとびっくりだ。

「……すみません、勝手な言い分なのは、分かってるんですけど……なんか、ちょっと」
「いや……それは、まぁ、色々あったしね……」
「なっちゃん大丈夫……?」
「あぁ、ごめんな。光はここで着替えな。俺トイレで着替えてくる。すぐグランド行くから」
「えっ、僕も行くよ!」
「え、いいよ、俺が勝手にトイレで着替えるんだから。光までそんなとこで着替えなくても」
「もう……っ、そもそも僕は保健室で着替えるのが目的じゃなくて、なっちゃんと一緒にいるのが目的なんだから、それじゃ本末転倒じゃないっ」
「……そ、っか」
 こぶしを握った光に力説されて、俺は気圧される形で頷いた。

「そういうことなら早く行かなきゃ。あと5分くらいしかないよ」
「お、おぅ」
「じゃあ丸ちゃんお邪魔しましたっ」
 囁き声に近い挨拶をして、光は俺の腕をがしっと掴む。
「あぁ、そこの職員用のトイレ使うといいよ、広いし、ここから一番近いから……」
「あ、ありがとうございます」
「悪いねなんか」
「いえ……」
「さ、なっちゃん行くよっ」
 光にぐいぐい引っ張られて保健室を後にし、すぐに職員用のトイレにたどり着く。

「ちょうどいいね、入り口に鍵かけれる」
 バリアフリー的なスライド式の大きな扉のトイレだ。
 どうやら職員用と、多機能の、いわゆるみんなのトイレ的な用途が兼ねてあるらしい。
 中に入ると広くて、驚いたことに赤ちゃんのおむつ換えの台まである。
 そりゃまぁ、赤ちゃんがいる保護者が学校に来ることもあるだろうし、あるにこしたことはないんだろう。
 でも普通の学校にはないよな。金持ちの学校だから、そういうとこにも気が配れるんだろう。
 綾瀬に限らず具合悪いやつが寝てるかもしれない保健室じゃなくても、毎回ここでいいかもしれない。
「なっちゃん、大丈夫?」
「え」
 ドアに鍵をかけおえた光が、体操袋から中身を取り出しつつ聞いてくる。
「なにが?」
「……綾瀬先輩のこと、何かあった?」
「え、何かって……」
「この前の科学室のことは僕もいたから知ってるけど……。なっちゃん、それより前から綾瀬先輩のこと知ってたみたいだし、先輩もなっちゃんと面識あったみたいな言い方してたし……」
「……あぁ」
 そういえば、綾瀬たちが乗り込んできたことは光たちには言ってなかったし、あの科学室でのやりとりは不思議に思ったに違いない。

「べつに……、そんな、大したことは」
「……ほんとにそう?」
 光の視線は不信感いっぱいだ。
「いやほら、高嶺と噂になった俺が許せないらしくてさ、ちょっと因縁ふっかけられたことあって、でも喧嘩とかなんなかったし……大丈夫」
「……ほんとは、そんな単純な話じゃなくない?」
「え?」
 光の、何かをはっきり確信しているような言い方に俺はドキっとする。
 もしかして光は綾瀬たちが部屋に乗り込んできたこと知ってるのか? 誰かから聞いた? 丸山先生?

「だってなっちゃん、なんか変なんだもん。いつもはなっちゃん、嫌なことゆってくる相手なんか、どこ吹く風みたいに完全無視するか、ムカつくってはっきり口に出すのに。……なのに綾瀬先輩に関してだけは避けてるみたい」
「………………」
「綾瀬先輩のこと、苦手?」
「……えー、いや」
 苦手……、苦手? あれ? そう、なのか?
「にがて……なの、かな……」
「なっちゃんが誰かから逃げるなんて初めて見たから……、ちょっと心配に思っちゃって」
「……いや、逃げたっていうか」
「避けたでしょう? それってそういうことじゃないかと思うんだけど」
「………………」
 そう、なのかもしれない。

「逃げた……よな、俺、今……」
「あっ、別に責めてるんじゃないよっ? 心配なだけなんだ!」
「うん……」
「こんなに学校中から色々言われても平然としてるなっちゃんが、綾瀬先輩だけ、苦手に思っちゃうの、なんでかなって……」
「…………」
「なにか、あったんじゃないかって……、あ、な、何もないならごめんねっ、勝手に勘違いかも! でも、もしほんとに、なにかあったんなら、……僕でよかったら聞くし! か、会長でもいいしさ! うん!」
「……光」
 あんまりにも光が優しくて、俺は胸にじーんときてしまう。

「な、なっちゃん!? なんかうるんでない!?」
「いや、光って、すげーいい奴だなぁって……。よく見てくれてんだなぁって……」
 トモダチ、サイコー。
「え、ほんとに何かあったの!?」
「なにもないよ」
「えぁっ、そ、そうっ?」
 光は中途半端に体操服を着かけたままの状態でおろおろする。
「いや、ちょっとさ、ほら、綾瀬があんまり高嶺のこと必死に想ってるの見たらさ、なんつーかこう、どういう態度でいたらいいのか分かんなくて……。可哀相だなって思うのもなんか違う気がするし……。同情なんて上から目線みたいで……。さっさと諦めてくれって思うのもなんかさ……。そんな簡単に諦められるなら、こんなことならなかったはずだろ……? 高嶺のいる学校やめたくなくて何回も耐えてきたとか……、ちょっとびびったんだ俺……」
「……そっかぁ」
 光が俺の気持ちに共感するかのようにしんみり呟いた直後だった。

 チャイムが鳴った。
「……やっべ」
「大変! 早く着替えなきゃっ」