137<最低>

 「見ないで……!!」
 テーブルに置いてあった携帯に高嶺が視線をやったのを見て、俺は気付いたらそう叫んでいた。
「……夏樹?」
 高嶺が、驚いたように俺を振り返る。
「や……」
 俺はすがるように高嶺の腕を掴んだ。
 その直後、前のめりになった体からかくんと力が抜けて、俺はソファを滑り落ちて床に座り込んでしまう。
「夏樹っ?」
 高嶺は俺を支えようと一緒に床にしゃがんでくれた。

「た、かみね……、お願い……、お願いだから……」
「今の、誰からか心当たりがあるんだな?」
「……っ」
 俺は、答える代わりに頷いた。
「夏樹の携帯も、そいつから?」
「…………」
 もう一度、頷く。
「この前の、土曜の奴か?」
「……」
 もう、うな垂れたまま無言の肯定をするくらいしか俺には力が残っていなかった。

「…………」
 高嶺が無言立ち上がり、自分の携帯の方へいくのを、今度はもう止められなかった。

「………………」
 知られてしまう。
 高嶺はどんな脅され方をしても大丈夫だという自信があるんだ。
 でもそうじゃない。
 これは別れろっていう脅しじゃない。
 高嶺に、強制的に俺を軽蔑させるための仕掛けだ。
 見られたらもう、終わり以外に道はない……。

「…………夏樹」
 高嶺の声が、近くでする。
 ふと顔を上げれば、目の前に、差し出された高嶺の携帯があった。
「…………ぁ」
「お前が消せ」
「……………………」
 頭が真っ白になって固まっている間に、高嶺は俺の手を取って携帯を握らせてくる。
「見られたくないものなんだろう? そんなの俺だって見たくない」
 携帯を握らせた俺の手ごと、高嶺は俺の手を包んでくれる。
「………………」
 いつからなのか全然分からなかったけど、いつの間にか自分がぼろぼろに泣いていることに気が付いた。

「消せ。いいから。俺は見ない」
「…………」
 高嶺は手を引っ込めて、俺の手に高嶺の携帯が残された。
「………………か、みね」
「大丈夫だ。なにも心配要らない」
 正面から、高嶺は、俺を安心させるように微笑んでくれている。
 その、高嶺からの信頼が。
「………………」
 俺には、もう、許されない……。

「……夏樹?」
 何も言わずに携帯を高嶺の手に返して握らせる。
 高嶺は俺の様子を窺うように名を呼んでくれる。
「……見て……いいよ……」
「夏樹?」
「……大丈夫、……ごめん、見て」

 こんなの、隠していいわけない……。
 いまさっき分かった。
 高嶺がどれだけ俺のことを信頼してくれてるのか。
 それを裏切るようなことを、俺はしちゃいけないんだ。
 こんなに俺を信頼してくれる高嶺に隠し事なんて、駄目に決まってる……。

「夏樹……」
 高嶺はそうポツリと呟いて、携帯の画面に指を走らせる。
 俺はぎゅっと目を閉じた。
「………………」
 あの声が流れる。
 そう思って手のひらを握り締めて身構えた。
 その時。
「消したよ」
 高嶺の声が聞こえて俺は目を見開いた。
「大丈夫。中身は見てない。開けないまま消した」
「……たかっ」
「夏樹が泣くほど嫌がってるもんを見たいとは思わねぇよ」
「そん、な……っ」
 わなわなと体が震える。

「だ、って! そんなの! 俺っ、そんなに信頼される資格ない……っ!」
「あるよ」
「ないよ! 俺最低だった! 高嶺に想われるような人間じゃなかったんだ!」
「最低だっていい。それもぜんぶ含めて夏樹だろ? 俺は夏樹を好きになったんだ。夏樹の良いとこだけ好きになったんじゃない。ぜんぶ、好きだ」
「……っ」
 高嶺の言葉が、まっすぐな言葉が、胸に突き刺さる。
 ……駄目だ。こんなの。
 高嶺の優しさに縋って甘えてたら駄目だ。
 俺は、そんなことしていい人間じゃなかったんだから。

「夏樹……?」
 自分の携帯の画面を指で叩く。
「じゃあ見てくれよ、ぜんぶ……っ。分かってないからそんなこと言えるんだっ、俺最低だったんだよ……! お前の想像なんか越えてるくらい……っ! 幻滅したなら、そう言ってくれ……っ、俺はこれ隠してお前の前でもう笑えない……っ」
「夏樹っ、やめろいいって! 無理すんな……っ」
 高嶺が携帯を取り上げようとするのの一瞬前に俺は再生の操作をして、その携帯を向こう側のソファへ放り投げた。
 それから高嶺が再生を止めに行けないようにと、その体にしがみ付く。
 さっきと同じように、声が流れた。




 ………………
「……なつ、き」
 間があって、高嶺がそう声を漏らした。
「ご、め……っ」
 俺は慌てて高嶺から離れる。もう、聞かれてしまった。なかったことには、もうできない。
「おまえ……」
「ご、ごめん……っ! お、覚えてなかったんだ……っ、嘘じゃないっ、ほんとに、それだけは、黙ってたとかじゃ、なくて……っ」
「夏樹……」
「ほんとに! さっき知ったんだ! だ、だからって、許されるわけでもないの、分かってる……、や、やだよな……。最低だよな……っ、恋人、いんのにっ、他の奴にあんな、せがむようなこと言って」
「夏樹っ」
「ヤバイよな! 好きなやつじゃないのにっ、お、おかっ、おかされ、てんのにっ、もっととか、俺っ、どっかおかしい……っ」
 ふいにぎゅうっと抱きしめられて、俺は驚きのあまり息を止めた。

「……もういい、もういいから。何も言わなくていい」
「…………へ、あ……、ごめ」
 俺の言い訳が見苦しくなってきたのならこんな風に黙らせなくても、殴るなりすればいいのに、高嶺の行動の意味が分からない。
「お前真っ直ぐすぎなのもちょっと大概にしろよ……。こういう時くらい捻くれたこと思いつけって……」
「……ご、めん、なさ」
 もう、もう駄目だ。頭がパニクって、高嶺が何を考えてるのか、何を言ってるのか、その意味まで、全部わけが分からなくなっている。
 焦りすぎて、自分でもどうしたら落ち着けるのかが分からない。
 とにかく、もう終わったんだから、高嶺に知られたんだから、こんな、抱きしめられてちゃいけないはずで。

「夏樹……ごめんな……、守ってやれなくて……。こんな酷い目に遭わせて……」
「ぇ……、え?」
 あれ、なんで、俺、謝られて?
 ていうか、なんで、高嶺、泣いて……?
「誰がどう聞いても、今流れた声のお前は、正気じゃないだろ」
「……しょ、しょう、き……じゃ、なかったけど……、だから、無意識の……ことば……出るんじゃ」
「無意識しかない状態だろ? 善も悪も、好きも嫌いも分かんなくなってたんだろ?」
 高嶺の言いたいことが分からない……。
「ワケわかんなくなって、理性で物事判断できなくなった時、そんな時にこんな台詞言えって命令されて強制されたら、誰だって口にするだろうがっ」
「…………え?」
「なんで自分から無意識で言ったなんて思うんだよっ!」
「…………え? ……ちが、うの?」
「そう言われたんだなっ? それでそうなんだってそのまま信じたんだろ!」
「………………」
「言わされたに決まってんだろ! だいたいお前っ、フラッシュバック起こすくらい痛いこと苦手なくせにっ、無意識でンなことせがむわけないだろ!!」

「………………」
「あとで脅しに使おうと思って用意周到にそういうこと言わせたシーンを撮ってたんだよ……!」
「………………ぅ、ぅあ」
「怖かったな。びっくりしたな。……もう大丈夫だ。大丈夫だから。こんなことでお前を嫌いになったりしないから」
「ほっ、ほんとに……っ? ほんとに、なんでもない……っ? 大丈夫……っ?」
「大丈夫! お前のこと愛しくてたまんねぇよ。嫌われるならむしろ俺の方だ……。お前をこんなに泣かせて、全然守れなかった頼りない俺を、嫌いになったりしてないか……っ?」
「ない!! そんなの全然なってない……!!」
 必死で否定して、それから俺は高嶺の背中に腕を回した。

「夏樹……」
「う……ぅう……ぁ……」
「だいじょうぶだ……。なんにも、心配いらねぇからな……。ここにいる。お前のそばに、いつもいるから」
「……か、みね」
「わすれていいんだ。嫌なことはぜんぶ」
「うっ、あ、ぅあぁー……」
 高嶺の胸に顔を埋めて泣きじゃくるのを、当分止められそうな気がしなかった。