17<ポーカーフェイス>

「さ、佐倉ちゃん! 大丈夫!?」
 完全に舞台袖から出てしまって、ちょうどバルコニーからの日差しで日なたになっていたところに転がるハメになり、日光が目に沁みた。
「いや、俺より先輩が大丈夫じゃないみた……っ」
 そこで、言葉が途切れる。
 ……えっ、なに!?

 肩に埋めていたはずの先輩の顔が、首筋に移動してきていて、何か温かいものが……。
「はっ!? 先輩何して……! ってちょ……!」
 かかか、完全に襲われている!!
「ちょっとぉおおお!! 意味分からないんですけどぉお!!」
 いつの間にか解放されていた手で先輩の着ていた私服らしいシャツを思いっきりひっぱたがびくともしない。
「せせせ、先輩っ、佐倉ちゃんを離してくださいっ!」
 安達も俺の上から先輩をのけようと必死に奮闘しているが、いかんせん非力らしくて全然役にたっていない。

 俺はいつぞやのように尻でも蹴り上げようかと思ったが、ふとそれどころではなくなった。
「まさ……」
「ぅあっ……」
 低い声で耳元で囁いた口が、俺の耳を舐めたのだ。
「……っっ」
 まじで! まじで今の俺の声!? ない! ない! ありえない! 何やってんだよ、安達もいるってのに!!

 俺は少々テンパりつつも必死で逃れようともがいた。
「なに、今日はそういうのがイイの……?」
「ちょ……」
 うはあああ! 誰かと完全に勘違いしてるしぃいい!
「た、たすけっ! 安達っ」
「わわわ、分かってるけどぉ!!」
「まさ、うるさい」
 まさって誰ぇえ!?

 俺の心の叫びは喉の奥に封じ込められた。
 口を開けば、違う声が……出る。
「……っ、……ふっ、……っっ! ンっ」
 どどどど、どうしよう!!
 首とか舐められてるし! うわ! 服の下に手……っ! ぎゃあ、そこ摘むなあ!!
 も、もう先輩をどかすことより声を耐える事の方が大事になってきた……!

「さ、佐倉ちゃ……っ」
「ぁ……だちっ! ……せんぱ、どかすの……ぃい、から……! 正気に、もどして……! それさき……っ!」
「だだだってどうすんのそれ!?」
「………………」
 こんな状況でそんなことまで声に出して説明しろというのか安達!
「あたまでも何でも……っ! っく……、なぐれとにかく!!」
「ええええっ!! できないよそんなことぉっ!!」
 できないで済ますなアホぉおお!!

「っく……っっ、っ、こ、……のぉお!!」
 何が何でもこれ以上は耐えられない。そう思った俺はもう声なんか気にしてる場合じゃないと判断し、解放された手で先輩の顔を思いっきり押しのけた。
 あごを押さえられ顔を仰け反らせた先輩は正気に戻る……どころかその俺の腕を掴んでひとまとめにして片手で封じてしまう!
「ぎゃー!! まじなし! ない! ないから先輩!! ひっ」
 ジーンズのチャックに伸びた手が、心底恐ろしいと思った。
 服を捲りあげられ、腹に空気が触れる。

 生徒会長さんはここに来て俺の傷跡に手を止めたが、寝ぼけ真っ最中の先輩は気付いてないみたいだった。
 ジーンズの腰に手がかかる。
「まじで嫌だっ! 嫌だって嫌ッ! せんぱ……っ!」
遥一 ( よういち ) !!!!」
 違う声が、降り注いだ。

「…………ふ、……ぅ、……はれ?」
 手が止まっている。
「……先輩?」
 覗きこんだ顔は、俺をじっと見ていた。
 寝ぼけた目で見ていた誰かではなく。俺を。
「……………………まちがえた……ようだな?」
「…………」
 いや聞かれても困るし。

「遥一! いったい何やってるの! また寝ぼけたのか!?」
 声がする。俺はその主を探して首を横へ向けた。
 ……瑠璃川先輩だ。
 うしろに萩迫も付いてきている。ストーカーは逃げたのか。
「まったくもう! こんなに寝ぼけが激しいことが噂になったら遥一、おちおち睡眠もとれやしなくなるじゃないか。ってあ。転校生! 君が被害にあったのか!」
 近付いてきた先輩は俺の姿を認めて驚いたようだった。

「るるる、瑠璃川先輩っ」
 二人もそろったらしい生徒会メンバーにうろたえる安達。
「光っ、大丈夫か!? 佐倉も大事ないか!?」
 萩迫は真っ先に安達に駆け寄って安否を気遣っている。
 あぁあぁそれでいいよ全く。
「やあ。君は転校生くんの友達? 可愛い子だね。被害を受けたのが君でなくて良かった」
「…………ちょ」
 あんまりな言われように抗議したくなったけれど、言われたことは最もだったのでやめた。
 安達が襲われるよりは、俺が襲われたほうがいくらか持ちこたえられるってもんだろう。安達の抵抗なんて有り得ないくらい弱弱しそうだ。

「それより転校生……、佐倉君だったっけ? 大丈夫? すまないね、うちのが迷惑かけたみたいで。起き上がれる?」
「……あ。大丈夫です」
 尋ねられて、俺は自分が未だ舞台の上に寝転がったままなのに気付き、体を起こす。
 めくられたシャツを思い出してさっと下ろした。ついでにチャックも閉める。うーあー恥ずかしい。
「……相葉に聞いたんだけど、事故に遭ったんだって? その?」
「その怪我です。大丈夫ですよ、後遺症ないし、今ので痛めたとかはないです」
「そう……」

「ごめんな。間違えて悪かった」
 福神先輩が、初めてまともにしゃべった。
 どうやら眠気から完全に回復して、状況を理解したらしい。
「いえ……」
「嫌な思いさせたろ。本当に悪かった、ごめん、大丈夫か?」
 宮野副会長とはまた別の親しさで、福神先輩は話しかけてくる。
「だ、大丈夫ですよ! 別に殴られたわけでもないし!」
「いやでも、どうしよう。……なんか詫びないとな。いやごめん。まさと間違えてさ」
「遥一!」

 瑠璃川先輩の鋭い声が飛んだ。
「…………まさか、瑠璃川先輩が、まさですか?」
「………………」
 俺の質問を、瑠璃川先輩は無言で肯定する。

「……俺、寮に帰ります」
「え、大丈夫? 佐倉ちゃん」
 俺の帰宅宣言に安達が心配そうな声を出す。
「大丈夫。どうせここが最後の探索コースだったんだろ? そろそろメシ食いに戻るよ」
「お腹すいたの? 一緒に食べようよ」
「いーって。俺部屋の冷蔵庫に食べちゃわないといけないもんあるから。二人でラブラブして食べな」
「ええええっ」
 見事に赤面する安達。
 萩迫は複雑そうな面持ちでイエスともノーともとれる頷き方をした。

「ほんとにごめんな。ひとつ貸しにしといて。何かあったら力になるから」
「はあ。どうも……」
 適当に答えて、俺は舞台から飛び降りて着地する。
「じゃあ先輩、俺はこれで」
「あぁ、うん。本当に悪かったね。あとで叱っとくから」
「いいですよそんな。じゃあ失礼します。安達も萩迫も、明日学校でな」

 声をかけて、俺はその場を離れる。
 多少強引だったかもしれないけれど仕方ない。
 もう、もう、ポーカーフェイスを保っているには限界だったんだ!!
「………………くそ、なに、もう」
 安達にあんな声聞かれて!
 遠目だったろうとはいえ、あんな醜態を萩迫と瑠璃川先輩に見られて!
 これで平気でいられる奴がいたらお目にかかりたい!
 今日はもうふて寝だ、ふて寝!!

 ポーカーフェイスが崩れてきっと真っ赤になっているだろう顔を見られないように、俺はそそくさとその場を後にした。