18<保健室>

 週の初め。その日は例の授業がある。
「……俺、保健室行ってくる」
「えっ、休むの?」
「違う。着替え」
 そう、体育の授業だ。

 昼休みが終わって昼食を購買でささっと済ませ、五限の体育の為にさあ着替えようという態勢になった安達と萩迫に、俺はそう告げた。
「俺さ、結構事故ん時の傷跡酷くてさ。しかもまだ一年前のだからけっこう目立つし。別に男だし気にしやしないけど、周りのみんなはびっくりするだろ?」
「あー、そうか……。そうだね、大変だ……」
 親身になってくれる安達に俺は大丈夫大丈夫と軽く請け負って手をひらひらさせる。

「ってなわけで、着替えたら直接グラウンド行くから。今日は体育館じゃないんだろ?」
「ああ、今日は外でサッカーだよ。じゃあ俺たちも直接行くな。保健室、場所分かるのか?」
「おう。エントランスから職員室と逆方向」
「正解」
「じゃ、よろしく」

 俺はにっと笑って体操袋を肩にかけ、安達と萩迫に手を振って教室を出た。
 今日いまこの時まで、日曜の例の恥ずかし事件には触れないでいてくれている優しい友よ。
 心底ありがとう。
 おかげで俺は朝から普通のテンションを保てている。

 一年の教室のある二階から階段を下り、一階に向かう。
 体育の着替えに保健室を使うのは、結構前から俺の中で計画されていたことだった。
 転入当日は交通事故でーとかって軽く流して、みんなもふーんそうなんだーで済んだことでも、怪我の跡なんて見たらどういう事故だったのかとか今は大丈夫なのかとか話題になるに決まっている。
 そこからどう話が発展するかも分からない。
 夕香のことは知られちゃいけないんだから、関係する事故のことだってなるべく話題に上らせないほうがボロは出ないはずだ。

「あったあった保健室」
 陽丘さんにも保健医に挨拶するよう言ってたし、ちょうどいい機会じゃないか。
 そう思って俺は保健室のドアをがらりと開けた。
「失礼しまー、す……?」
 そこには先客が一人。
 ソファに腰掛けて上を向いている横顔は、かなり不機嫌そうだ。
 学年章をつけていないから、学年は分からない。
 でもなんか、雰囲気で先輩っぽそうだ。

「……先生、います?」
「………………」
 尋ねても無言。
 見渡せば保健医がどうやら留守らしいことは窺えたので俺は気にしないことにした。
 俺一人なら適当にその辺で着替えて良かったけれど、先客がいるんじゃしょうがない。
 ベッドの仕切りを使って着替えさせてもらうことにして、俺はソファの前を横切ろうとして……足を止めた。

「だ、大丈夫ですか!?」
 ソファに沈み込んでいた生徒の、見えなかった顔の部分が、頭から大出血してるのだ。
「え、え、ちょっと保健医呼んで来ましょうか? ぼーっとしてる場合じゃ、止血、止血!」
 俺は体操袋をソファへ放り出し、キレイなタオルを探して保健室の戸棚を探り始めた。

「どうしたんですかそれ! ぼーっとしてる場合じゃないですよ!」
「…………うぜえ」
「は? うざいとかそんな場合じゃ」
 やっと返ってきた返事はちょっと悲しいものだったが、怪我人相手なんだから堪えようと適当な返事をする。

「てめえに世話やかれる筋合いはねえってんだよ。失せろ」
「………………」
 いやそんなわけにはいかないし。
 俺はトイレでなんか着替えたくない。ここを利用したいし、そばにいる怪我人を放っておくのも嫌だ。
 血だらけの人間ほったらかして着替えられるかっつの。
 俺は発見したタオルを手にして水道に向かい、少し濡らす。

「……自分の用事が済んだら失せますよ」
「っうっぜぇ。……んだよテメェまじボコられてぇのか?」
 ……金持ちの学校にもこういうタイプはいるんだと、俺は妙なことを考えた。
「お前俺の噂知らねぇわけじゃねえくせに。……ほんとは超びびってるクチか? あ?」
「……噂?」
「おいおい、俺は五十嵐だぜ? 気付いてなかったのか?」
「……また生徒会とか言い出す感じですか?」
「はあ? んなわけねぇだろ、テメェ脳みそ沸いてんのか?」

 どうやら違うらしいことに俺は内心ほっとした。こうも続くと何かの罠を疑いたくなってくる。
「……とりあえず血、拭いてください。タオルこっち側濡らしてますから」
「構うなっつってんだろうがよ!」
 差し出したタオルを、五十嵐は思いっきり振り払った。手に痛みが走り、タオルは床へ落ちる。

「………………」
「痛い目みたくなかったらさっさと帰んな、真面目くん」
「…………」
 どうやら俺のネクラ的な外見を指して言われたらしい言葉を、俺は黙って聞く。
 それから、なんだかムカついたので勝手にしようと思った。

「保健室にいるんだから手当てしようと思って来たんでしょうが。訳分かんないこと言ってないで、傷口押さえるくらい自分でやれっつうんです」
 床に落ちたタオルを拾い、床に接してなかった綺麗な面に返して、自分で五十嵐の傷を押さえにいく。
 五十嵐は俺の行動に虚を突かれたのか、一瞬驚いた顔をした。

「っざけんな!」
 案の定というか何というか、思いっきり振り払われた。
「アホかてめぇ! んなに俺に構われてぇのか!?」
「じゃあ自分でやれよ! 手当てされたくないなら初めから保健室になんか来るな! 無視できねえだろ普通!」
 相手は先輩らしいという前提をもうかなぐり捨てて俺も怒声をあげる。

 五十嵐はぷっちん来たらしく、顔を引きつらせた。
「おい……随分元気な口利くじゃねえか。サボリに保健室来たってかよ?」
「着替えにきただけだ、あんたみたいな不良じゃない」
「はあ? んでこんなとこに着替えにくんだよ? てめぇ女か?」
「………………」
 どういう発想だとか思ったりしないでもなかったが、説明してやる義理もないので俺は無視する。

「何黙ってんだよ? 聞いてんだ、答えろよ」
「あんたに話す義理はない」
「はっはあ。そんなに知られたくねぇことか? 面白れぇ。俺が見てやろうじゃねえの」
「はあ?」
 傷口を押さえようと迫っていた俺と、それを撥ね付けようとしていた五十嵐、の立場は逆転したようだった。