19<一方的>

「この学校で今さら珍しがることでもねえだろうが、ホモ野郎!」
「は? ぅわっ」
 よく分からない理屈に驚いている暇はなかった。
 いきなり跳ね起きた五十嵐に肩を突かれ、思いっきりよろめいて後ろの棚にぶつかる。
 こいつ、口の悪さを裏切らず、ケンカに慣れてるらしい。

「どうせ昨日の晩はお楽しみだったとかそういう訳だろ? 体中跡が残ってて人前じゃ脱げませんってか? てめぇらみてえな連中マジできもいんだよ!」

 がんっ、と、威嚇するように五十嵐は俺の後ろの棚に蹴りを入れる。
 俺は怯んでなるものかと五十嵐をにらみつけた。
「てめえのガタイじゃネコか? あ? 昨日はあんあん言わされましたってか? 男のくせにプライドねぇのかよ!」
「……人が誰と恋愛しようが自由だろっ」
 なんか、安達と萩迫のことを否定されたようで、俺は反論した。

「あー? 恋愛ぃ? 男同士で恋愛してぇってか! 世の中半分も女がいるっつうのに男相手にまで欲情できてそりゃー便利だなァ!」
「ホモ嫌いを俺にぶつけんな!」
「違うっつーなら証拠見せてみろよ! ほら!」
 いきなりかけられた足払いを俺は避け切れなかった。
 バランスを崩し、床に膝をつく。

「っく」
「おら、早く脱げよ!」
 問答無用で間髪入れずに蹴られ、床に転がる。
「ってえ」
「男が男にケツ振って馬鹿かお前らは? 山奥の男子校なら同類が多いとか思って来たクチだろうが! マジうぜぇんだよ!」
「って!」
 立ち上がろうとしたところを小突かれ、倒れこそしないものの後ろへまたバランスを崩す。

「男に色目使ってる暇あったらちょっとは周りの人間にどう思われてるか考えてみたらどうなんだよ! ぇえ?」
 血を流しながら迫ってくる五十嵐の様子は結構尋常じゃない。
 だけど、五十嵐の言っていることは……、その言葉の方向は、俺じゃない気がした。
「……言いたい事あるなら言いたい奴に言えばいいだろ!」
 どっ

 音がする。
 自分の腹が打たれた音らしいことに、息が詰まってから俺は気が付いた。
「てめえ、覚悟ってできてっか?」
「……く、っは」
 膝を付く。体が酸素を求めて震えている。
 自分の様子がおかしい。というか体の感じが。
 こんなケンカ、一方的にやられてることなんてなかったはずなのに。
 なんで、手が出ないんだ?

「なめた口利いたからには楽しませてくれるんだろうなァ? おら、立てよ!」
「っぅ」
 シャツの胸倉を掴まれ、引き上げられる。無理矢理立たされてから、再び突き飛ばされた。
 がたがたと何かに当たりながら再び床へ。
 起き上がろうと横にあるベッドに手をつく。

「……は」
 だけど、その手に力が入ってないことに気付いて俺は愕然とした。
 なに、これ?
 俺って体調悪かったの?

「おいおい、何黙っちゃってんの? さっきまでの威勢はどうしたよ、あ?」
 立ち上がれないままの俺に近付いてくる五十嵐、手に光るものを持っている。
 ハサミだ。
 包帯やガーゼを切る時用の。

「………………」
「ナイフとまではいかねえけど、よく切れそうだぜ? ホモ野郎の変態ちゃんは、無理矢理プレイもお好みですかぁ?」
 逃げたい。
 心底そう思ったけれど、背中と右は壁で、左はベッド。どうしようもない。

「何とか言えよ! ぁあ?」
 髪を引っつかまれる。
 ベッドに顔を押し付けられ、上から枕で押さえつけられた。
「…………っ」
 顔を間近で見られる心配はなくなったけど、でも、まずい。なんかもう一方的だし、目は見えないし、息苦しいし、頭を押さえられたせいで身動きがほとんど取れない。
 俺、これからどうなるんだろう。

「びびっちゃって声も出ませんってか?」
 後ろからかけられた声。
 息が、息が、苦しい。呼吸してるはずなのに、酸素が足りない。気分が悪い。声が、声が出ない。
「大口叩いた割りにこの程度かよ? あ? いいのか? 抵抗しねえと怪我するぜ?」
 首の後ろに冷たい感触。ハサミの刃を当てられたのか、全身に鳥肌が立つ。

 ちょっと、マジでやめて欲しい。なんか俺、変だ。
「っは! 威勢が良かったのは最初だけか? 男に守られることばっか考えてるホモのコネコちゃんには刺激が強すぎたなぁ?」
 腰のあたりのシャツをぐっと掴まれたのが分かった。
「自分で脱げねえなら俺がやってやるしか、ねえよな!」
 直接空気の触れる、独特の感触。

 ……別に見られてもいいんだけど、さ。
 俺より相手の方がショック受けるだろう問題であって、俺にとってはもう既にカタのついてる問題だ。
 がらりと変わった俺の人生に比べたら、傷跡のひとつやふたつ、大したことじゃない。いや、ふたつどころか全身にあるんだけれども。
 でもとにかく、五十嵐が見たのはその中でも一番酷いらしい、背中の傷跡だった。

「てめぇ、これ……、言えよ、最初から」
 どうやら萎えたらしい五十嵐の低い声が聞こえる。
 枕をどけられたのか、視界に光が戻った。
 直後。

「何やってるんだ!?」
 別の声がした。
「ああ? 丸ちゃん? 遅ぇよ」
「お前、その血……っ、ってその子は!? お前ハサミなんか! 何して……!」
 どうやら保健医の先生が戻ってきたらしいことを考えながら、俺は同じ体勢のままじっとしていた。

 どうやら俺は本当に体調が悪かったらしく、いま動いたら吐きそうだったからだ。
「別に何もしてねえよ。ちょっとムカついたからシメてただけだっつーの。いつものことだろうが」
「お前は! ……ああもう! その血をなんとかしろ! タオル持って、トイレにでも行って来い!」
「へーへー」

 俺の手当てはあんなに拒否ったのに、保健医の言うことには素直に従って、五十嵐は新しいタオルを手にとって保健室を出て行く。
 俺が用意したタオルは床におちて五十嵐に踏まれたのか、汚れていた。
「君! 大丈夫かい!? あいつに何かされたんだろう!」
 先生は俺の方に大慌てで駆け寄ってきた。

「……せ、……吐き、そぅ」
 俺はそれだけを何とか伝える。
 先生は慣れてるのかすぐに意図を理解して、用意してあるらしい袋を持ってきてくれた。
 ビニール袋の中に紙袋が入ってる、嘔吐対策の袋。
「大丈夫か?」
「う……」
 背中を撫でられて、気分の悪さが一気にきた。