23<息>

 上に行かなきゃと思った。
「……はっ、はっ」
 階段を上る。上まで行って、その先がない。
 今なら、まだ、間に合うから、取り返しがつかなくなるまえに。
 早く、早く。見つからないように。

 どん
 何かにぶつかって、床に倒れてしまった。
 どうしよう。今の感覚は、人だ。
「おい」
「……ッは、……ハァ」
「……大丈夫か?」
「はぁっ、は……」
「落ち着け。おい、どうした? 何があった?」
「ハ……、ッ……っ、ッふ」

 男の声は俺に何か言っている。ああどうしよう。力が、立てない……。息が、できない。
「しっかり、おい。息を吐け。落ち着け、大丈夫だから」
「ッ、……っ」
「ふくろ……、紙袋だっけ? ぁあ、んなのねぇし……!」

 手で、口を塞がれた。
 息が吸えない。死んでしまう。
「んぅううっ」
「こらっ、暴れんな! くそっ、なんだって……っ」
 背中に腕が回って、痛みを覚悟した時、違和感を感じた。
 口の中に、何か……
「ん、んぅ」
 あたたかいもの。

「………………」
 誰かの舌だと気付いた時には、あんなに苦しかった息が収まっていた。
「…………落ち着いたか?」
「……うわっ!」
 なんで、目の前にこいつの顔があるんだ!?
 ここ、どこだ?
「何があった?」
「…………なに、がって、何……え?」

「はあ」
 俺の背中に腕を回している高嶺生徒会長は、俺の答えを聞いてため息をついた。
 なんか、えらい密着して抱きしめられている……。ほとんど、乗っかられてる感じだ。に、逃げられない……。
「怖い夢でも見て寝ぼけたか?」
「……夢? 夢……って、いやちょっと! いいからはなせ! ここどこだよ!?」
「東館の五階。生徒会メンバーの私室フロア」
「……そんなとこに用事ないけど!」
「…………お前、夢遊病か? いや、違うな……、とにかく、来い」

 会長は俺を抱きしめたまま問答無用で立ち上がる。半ば強引に立たされて、俺は体に力が入らないことに気が付いた。
 これ、腰が抜けてる?
「立てないのか」
「え、え、え、なんで」
「しかも靴……。しょうがねぇ」
 ふわ、と浮く感じ。

「うわぁあ、ちょおっ」
 生まれて初めて同年代の男に抱き上げられてしまった。子供の頃、近所のお兄ちゃんにおんぶしてもらったことくらいしか覚えがないのに、いきなりこの横抱きはハードルが高すぎる。
「ちょちょちょ、おろせっ」
「立てないんだろうが」
「いやでも! この抱き方はないって! せめて背負うとかっ」
「移動が手っ取り早い。誰にも見られたくないなら騒ぐな」
「………………」

 言われたことは最もだったので、俺は自分の羞恥心を我慢させることにした。
「靴も履いてねえし」
「うわ、ほんとだ」
「とりあえず、俺の部屋に行くからな」
「………………」
 なんか、それってヤバイんじゃないだろうか。
 こいつはこの前の強姦未遂魔で、俺はなんでか足腰が立たなくて……。本気で抵抗できるとは思えない。

「………………うん」
 理性がそこまで冷静に考えてるのに、なんとなく、本能が大丈夫だと言っている気がして、俺は頷いた。

 考えたら五階は生徒会のメンバーしか利用する人間はいないわけで、恥ずかしいと思った横抱きも、見られることがないと思えばそんなでもないことに気が付いた。
 気が付いた時にはもう高嶺の私室だという豪華な部屋のソファに下ろされていたんだけれども。

「…………生徒会って、すごいな」
 三年生用の一人部屋でさえ凄ぇと思ったのに、この部屋ときたら、スイートまではいかないとしても、どこぞのホテルの一室ですか、って感じだ。
 見てないけど、絶対風呂にジャグジーついてる気がする。
 なんか、部屋数多いぞ。

「仕事を部屋に持ち帰ることもあるからな。勉強の為のプライベートな私室と、執務室的な部屋と分かれてる。リビングは応接仕様だしな」
 俺の考えを読み取ったかのように高嶺は説明してくれた。
「……で?」
「…………で、って」

 次はお前の番だとばかりに顎をしゃくる高嶺。あ、違う、呼び捨てじゃ駄目だ、一応生徒会長だ。しかも二年。
「お前、パニック障害か何かあんの?」
「…………は?」
 よく分からない単語に俺は首をかしげた。
「いや、俺も言葉だけでよく知らないんだけどさ。あれは、あれだろ? 過呼吸ってやつだろ?」
「か……こきゅう」

 それは聞いたことがある。息の吸いすぎで酸素が多すぎるってやつだ。紙袋かぶせるっていう。
「……過呼吸って、俺が? さっき? 寝ぼけたんじゃなくて?」
「いやなんか覚えてねぇってそれはちょっとヤバくないかお前?」
「え?」
 会長は頭をぐしゃぐしゃとかきながら俺の横にどかっと腰を下ろした。

「紙袋なんか持ってるわけなかったからな。鼻と口塞ぐのも有りかってやってみたら暴れるから口で塞いでやったんだ。覚えてねぇ?」
「…………う、うるせ……っ、オイ! 近寄るな!」
 目が覚める時、最初に目覚ましの音に気付くように、さっきは舌の感触に最初に気が付いた。
 それを思い出して、焦る。
 見せたくなかった隙をいつの間にか見せていたなんて、一体何なんだ!? どうしたんだ俺!? 確か自分の部屋でうたた寝してなかったか!?

「ふぅ~ん。少しは覚えてんのか。この前みたいに蹴りは入れなくていいのかよ?」
 ずいっと迫ってくる会長。うわわわわ。
「ちょちょちょ……、タイミングっ……逃した……だけだっ」
 力の入りにくい体では渾身の一撃が放てない……。
 迫る高嶺の胸を突っ張って押し返すくらいしか。俺の本能は判断を誤ったのか……?

「安心しな。足腰立たねぇ奴相手に無理強いする程堕ちちゃいねえ」
「………………そっ、それはどうも!」
 だったらちょっかいかけてくるなと叫ぶ前に、高嶺はふいっと俺から離れて行った。