31<名前>

 放課後に社会化準備室を訪ねるようにと一方的に言われてから4時間がたって昼休みになった。
 今朝の騒ぎのせいで食堂には行けなくなったので購買で買った弁当を持ち――パンじゃなくて幕の内系弁当が売ってるのが凄すぎる――俺は安達と萩迫と三人で中庭の隅っこの木陰に隠れるようにして腰を下ろしてただひたすらにメシを食っている。

「……………………だあ」
 駄目だ。沈黙に耐えられない。
「ムカつく! ムカつきすぎる! 俺は煮込みハンバーグが食いたい! なんでこんなところでこそこそと!」
 がぁぁと首をふる俺を、箸を止めた安達が振り返る。
「この出し巻き玉子も結構おいしいよ」
「それはわかってる!」
 俺は即答した。

 食堂が食堂なだけに購買で売ってる軽食もランクは落ちるがそれなりのいい仕事をしているのは認めよう。
 この出し巻き玉子も煮込みハンバーグとはまた違った格別の絶品であることは間違いない。
「…………違うっ、思考がそれたっ!」
 気つけの為に出し巻き玉子を一口放り込む。
 安達ははははと乾いた笑いを絞り出した。
「朝からずっとそれっぱなしだよね実は。分かるよー。まともに考えたくなくない時ってどんどん関係ないこと考えちゃう」
「……安達ってなんて癒し系なんだろう」

「え、僕癒し系なの? 要にはよくうるさいって言われるんだけど」
「萩迫は贅沢だな」
「悪かったなー」
 黙々と弁当を食べていた萩迫は一言呟いて、また黙々とその作業に戻る。

「……ごめんな、二人ともつき合わせて」
 なんとなく申し訳なくなって俺は謝った。
 俺がこんなことに巻き込まれなければ、いつも通り食堂や教室やベンチのある場所で昼メシだったはずなんだ。
 いや、今でも、俺に付き合ってくれたりなんかしなくてもいいんだ。二人は今回のことに何も関係ないんだから。
 だが安達はにっこり笑って首をふるふると横に振る。

「ううん、いいよ大丈夫。いつもと違う感じがして楽しいよ」
「……え、楽しいの?」
「あ、ごめんね。佐倉ちゃんはビミョーだよね」
「あー、……うん。この際もう楽しむことを考えてみようかとは思うけど実践できるかどうかはちょっと定かじゃない感じだな……」

「…………前向きに努力するってこと?」
「おぉ、そうそう、それそれ」
 段々投げやりになってくる。
「そっか。まあこんなのきっとちょっとの間だけだもんね。大丈夫だよ」
「あぁ、そうだな」
「一応会長も手を出すなって宣言したんだし、親衛隊も会長の命令には従うはずだよ」
「あぁ、うん」
「しばらくの間ちょっと目立っちゃうってだけだし」
「うん」
「ほとぼりが冷めたらまた食堂行こうね」
「うん」
「で、これから僕も要も佐倉ちゃんのこと夏樹ちゃんて呼ぶね」
「うん」
「うわ、やったあ」
「………………。ん? んん?」

 なんか、俺いま適当に返事してたけど……、なんつった?
「やったあ! 許可とったよ要! 呼んでいいって!」
「で、でかした光! なんか不安だったけどお前って意外と上手いな!」
「でしょでしょ! ホメて!」
「えらいえらい! よーしよし!」
「……………………」
 何だ? 何が展開してるんだ?

「えへへへへ。じゃあ夏樹ちゃんも僕のことは光、要のことも要って呼んでね!」
「………………へ?」
「あはは! 夏樹ちゃん反応素直すぎるそれ! ツンデレ!? いやデレじゃないなぁ~、天然入ってるよねー、あれだ、ツンテンだ! 天然のテンでツンテン! 超可愛い!」
「………………は?」
 毎度のことながら……安達の暴走モードにはついていけないんだけれども。

「うーん。なあ、光。これは案外、このギャップに会長マジにやられたのかもしれないな」
「うっそお! じゃあアレってやっぱり、本気の愛の告白!? やっぱそうだよ夏樹ちゃん! 嫌がらせなんかじゃないんだよ!」
「……ちょちょちょ、待て待て、何からツッコミ入れればいいか考えさせろ! あれが本気かなんてちょっと考えれば分かんだろ! 相手俺で一体どうやって惚れるんだよ! テンて何だ!? ツンテンって! パンダの名前か何かか!? ほんで夏樹ちゃんってなんだ!? 名字にちゃん付けもアレだけど、名前にちゃんなんか付けたら俺の名前なんてもう絶望的じゃないか!」

「……っうっわぁー。要、夏樹ちゃんから盛大なツッコミ入りました!」
「てんこ盛りで一気に来たな」
「さすが夏樹ちゃん! ツンテンのツンモードが活きてます! それがあるからテンが萌える! 凄いね! 美人だし最強だよ!」
「安達は暴走モードを解除しろ!」
「ちっがーう! 僕のことは光って呼んでって言ったじゃない!」
「ひかる? や、別にいいけどそんなの全然……って、だから! いや名前で呼び合うって話か!? 別に全然いいけどちゃん付けはやめろってば!」
「じゃあ僕も光ちゃんでいいよ?」
「ちょっと待て!」

 あ、あ、あ、話が通じない……。そうだよな。暴走モードの安達……じゃなかった、光だもんな。
 解除の鍵を握る肝心の萩迫はなにやら光の味方だし。
「じゃ、要のことも要ね!」
「かなめ……? あぁ、うん。それは分かったから! だから、名前の方はさすがに呼び捨てとかに……」
「じゃあ、なっちゃんも有りだね!」
「おおおいっ!」

 う、宇宙人と会話してる気分になってきた。
「夏樹かぁー……。おーい、夏樹。いいから落ち着けって」
「いやまず安達ー……じゃなくて光を落ち着かせてくれって」
 俺は光の様子に半分呆れが入った表情で要に訴えるが、要は肩をすくめるばかりで一向に光をどうにかしようという気はないみたいだ。
 それよりも俺ににこっと笑いかけてくる。

「嬉しいんだよ。下の名前で呼べるのが」
「嬉しいって、んな大袈裟な……。呼び捨てならいつでも全然呼んでくれて良かったのに」
「まあなー。夏樹とじゃ感覚が違うんだろうなぁ」
 萩迫はうーんと伸びをしながら言った。
「うちの学校ってみんなだいたい名字で呼び合ってるんだ。家を背負って立つ立場の人間が多いからな。本人同士の付き合いって言うより家同士の付き合いでここの人間関係は成り立ってるんだよ。名前で呼び合えるってことは、そんなしがらみに縛られない本当の友情って証になる」
「………………」

 萩迫……要の話に思わず沈黙する俺。
 この学校、ややこしい。
 だけど。
「……あー……はは。……お、おぅ。ありがと、な。……と、友達とかって……そういう気持ちは……うん、嬉しいよ」
 俺はしどろもどろに言っておいた。
 ひとりぼっちで入院していたあの時の寂しさってば、結構こたえるものがあったりしたんだ。
 諸事情ってやつが、俺から友達を奪っていったわけだし。

「……はは。夏樹からそんな真面目に言われるとテレるなあ」
「夏樹ちゃん安心して! 僕ら何があってもずうーっと友達だよ! ま、まだ出逢って一週間だけど、僕夏樹ちゃんのこと大好きだから!」
「……あはは、くせー」
「く、くさくないよ! ほんと、大好きなんだっては! 要もだよね! ねえ!?」
「おう。好き好き。もちろん」
 軽く応える要。

「ははは、ほんとかよ」
「ホントほんと。お前ってまっすぐだしなぁ。まっすぐすぎて、言葉の誠実さにほっとするよ。腹の探りあいに疲れた人間にとっちゃ、お前も案外癒し系だぜ?」
「………………」
 要の言葉に、俺は思わずぼけっと瞬きを繰り返した。
「……すげ。超発想だな、それ」
 あんまりおかしくって、ついクスクスと笑いがこみ上げてくる。
「信じてねえな。……あるぜ? そういうとこ。自分を過小評価も過大評価もしない、安定してる感じ。地に足が付いてるよな。相手が誰でも、お前の地面は揺るがないだろ? だから安心して近寄れる」
「………………おっまえ、哲学だなー……あはははは」

 ななな、なんか褒められてるのは分かる! けど! うわ、要ってキザ! 超テレんじゃねえか! アホか!
 普通の男子高校生は面と向かって具体的に相手褒めたりしないんだよ!
「あははは。ま、まま、まあ、名前……、名前な。うん。ま、既に佐倉ちゃんだったし、今さらだよな。はは」
「はは、お前って分かりやすいよなー。安心しろって、俺は可愛いものちゃん付け史上主義はないから」
「ちょっと! 要、それ僕のこと!?」
 要の話に光が割り込んできて、二人はまた甘々モードを展開しつつジャレあいを始める。

「あー、はは。なんか負けたな……」
 妙な敗北感を感じて、俺が誰にともなく呟いた時だった。
「話は聞かせてもらったよ」
 木の下生えが声と共にがさごそと鳴った。