34<準備室>

 それから。
 とにもかくにも先輩からメガネを返してもらい、例の不本意な事情を説明して、俺の顔のことは宮野先輩にも口止めをしてもらうよう頼み、了解してくれた先輩たちを見送った後、中断していた昼食を済ませ、精神的な疲れからか、俺は5限目の授業を爆睡して過ごした。
 その後の6限目は体育館での体育だったから、保健室に行って今日は順調に着替えを済まして体育館に行った。
 その時はきっちりジャージの前のファスナーを上まで上げて、それで走り回った。八回ほどシュートを決めた。種目はバスケだった。
 光なんか、昼休みの俺のダメージをなんとかケアしようと、シュートを決めるたんびにやたら大袈裟に盛り上げようと大騒ぎして、俺の気分は更に盛り下がるハメになった。

「失礼します」
 ノックした後に返事があったので俺は声をかけながら社会科準備室のドアを開ける。
「おう。来たか、佐倉夏樹」
 放課後、問答無用な訪問命令を消化しに来たところだった。
「ご苦労ご苦労。まあ、お前も大変なことになったな。座れ座れ」
 そう言って滝田は置いてある三人掛け用くらいのソファを指差す。
 俺は無言でそこに腰掛けた。

「なんだ? 機嫌悪いのかお前?」
「気分がブルーなだけです」
「あっはっは! 生理中の女子かお前!」
「………………」
 いかん。頭でツッコミを入れる気すら起きない程、本当に俺は今ブルーだ。

「で、どこまで行ったんだ?」
「………………」
 頭でツッコミを入れる間すら惜しくて無言で立ち上がった俺の腕を、滝田が掴んでまぁまぁまぁと引き止めた。

「いやー、お前気難しいなぁー。ここに来る子は大抵俺が聞く前に話し出すし、やりにくいわあ」
「……先生が呼び出したんじゃないですか。俺は相談したいわけじゃないです」
「じゃあなんで無視らなかったわけ?」
「学校の生徒たちは無理でも、先生たちへの誤解くらいは解いてくれるかもしれないって聞いたから……」
「なんだそうか~! そういうこと教えてくれる友達はいるのかちゃんと! 良かった良かった! 転校生だし、あの放送のせいで一人孤立してたら可哀想だとか思ってたんだ!」

 ままま、と言って座るように勧めるので、俺はとりあえず従った。
 言葉も態度もいちいちイラっとするけれど、言ってる中身はちゃんと教師っぽい。
「で、誤解って言うと?」
「……俺は、そういう恋愛癖は持ってません」
「と言うと?」
 滝田はバカのひとつ覚えみたいに俺に続きを促す言葉を繰り返した。

「…………会長に好かれたいなんて俺は思ってません」
「つまり会長の告白は迷惑だと?」
 俺はゆっくりと確実に縦に頷いた。
「じゃ、望んだ結果ではないと?」
 イエス、答えはイエスだ。間違いなく!
「好かれるようなことをした覚えもないです。色仕掛けなんて想像するのも気持ち悪いしっ」

「そうかー」
 滝田はふんふんと頷いて俺の前から離れ、部屋の中をぐるりと一周した。
「会長がらみの恋愛相談は山のように受けてきたから、まさかこんな日が来るとは思ってなかったんだよなぁ」
「何がですか」
「はっはっは! 会長の本気モード?」
「………………」
 今度は俺が立ち上がろうとする前に滝田が既に俺の腕を掴んでいた。

「そうだ。まず会長の恋愛遍歴を教えてやらないとな。転校生だし、なーんも知らなさそうだもんなぁ」
「興味ないです!」
「ま、恋愛っつーほどの遍歴はないんだけどな? まあようするに、遊び遍歴ってやつだな」
「無視!?」
 ああ、どうして俺の周りには人の話を聞かない宇宙人しかいないんだ!

「まあ基本、会長は昔っから遊び相手には不自由してないわけだが。なんてったって、あのデイブレイクのリーダーをやってて現在は生徒会長なんて超カリスマだからな」
「聞いてないし!」
「で、まあ寄ってくる人間は腐るほどいる。寄ってくるって言っても周りに群れてるだけで、会長はその中から適当に選んでツマミ食いをするわけだな」
「おい! あんた先生だろ!? それ知ってて何も対応しないのか!? 仮にも生徒会長だぞ!?」

 俺が抗議の声をあげる間も滝田は俺の腕を掴んで放さない。
 で。
「まあ、中には想い極まっちゃって群れの中から手を上げて会長にアタックする奴もいる」
 また無視した。
 俺は本当に疲れてきて面倒くさいので喋らせることにする。

「でー、そういう子も会長は相手してあげるわけだが、会長の選択を待たなかった子はまず間違いなく親衛隊から報復を受ける。それを無視するんだよなー、会長は。冷たいのか優しいのか。君はどう思う?」
 ちょ、いきなり俺に話ふるか!?
「……ほんとどうでもいいんですけど、それ会長がどうのこうのより、まず親衛隊を問題にするべきじゃないんですか」

「おい佐倉くん、君、ギャップが激しいな?」
「はぁあ?」
 俺の腕は掴んだまま、滝田は俺の隣にどかっと座る。かなり寄りかかってきて意味が分からない。
「ふうん。ようするに手をあげちまった奴は会長が相手しようがしまいが報復されるのに代わりはないってこった」
「………………」
 なんか、言葉遣い変わったんですけどこの人。

「アタックする子もそれを分かってて手をあげるんだ。どうせ報復を受けるなら抱かれないより抱かれた方がその子も報われるってもんだろ?」
「………………それ」

 俺はなんとなく反論する。

「報いてやりたいって思うなら、抱いてやるより報復はやめろって言えばいいんじゃないですか。親衛隊とかいう奴らは会長の命令は聞くんでしょ?」
「それなんだよ」
 滝田は目を輝かせた。



「確かに報復制度をやめさせるのがみんなハッピーって思うよな? だが報復という制度が無くなれば親衛隊は力を無くして、抑止力を失うことになる」

「……あのー、抑止力とか大袈裟な言い方してますけど、ようは会長への告白ってとこですよね? そんなのしたいならさせればいいんじゃないですか。受け入れるか断るかは会長が自由にしてそれで終わりじゃないですか」

「事はそんな単純じゃないんだよ」
 滝田のどや顔がすごいイラっとする。



「親衛隊が力を失えば会長を含めた生徒会の周囲は無法地帯になる。そうなれば会長たちを慕うやつらが勝手に派閥を作って独自の理論と感情で際限ない派閥争いや報復を繰り返しあって、暴行事件が倍増するのが目に見えてるんだよ」

「そんなことあるわけ……」

「親衛隊がまだ今みたいなルールを敷いてない頃……あいつらがバンドやってた頃がそうだったからな。親衛隊が力を無くして事実上の解散になれば、同じことの繰り返しってのは誰にでも想像ができる」

「……へぇ」

 どうやら真面目に言ってる話らしい。

「ところがだ」

 滝田はわざとらしく肩をすくめて見せた。

「たったひとつだけ、親衛隊を解散させずに手を上げた子が報復を受けないようにする手段があるのに会長は一回も使ったことがねえんだよ」
「………………」
 俺は無言で言葉の続きを待つ。
 滝田は俺の腕を離してソファの背もたれに体を沈めた。

「つまり、特別を宣言してやりゃいい。誰も特別じゃなかったからチャンスを求めて皆周りに群がってたんだ。誰かが特別になれば……本命にして欲しいと手を上げた子にイエスの答えさえ出せれば、こんな不毛な状態はいつでも終わりにできたんだ。それなのに会長は今までそれをしたこたぁなかったんだよ」
「………………」
「コイツは俺の特別だ、手を出すなって、それだけのことなのに今まで言ったことがなかったわけだ」
 手を、出すな……って。

「放送聞いた時正直むせたぞ俺も。あっついコーヒーをな。おかげでやけどした」
「………………」
「新聞部がばらまいたっていう速報を俺も苦労して手に入れてなぁ」
「…………」
 にやにやと滝田は言う。
 会長の素行を知っても何も対応してないってことは、生徒が誰と関係を持とうが問題にする気なんてはなっからないんだろうけど、なんか腹立つ。
 すべてを見透かされたような、事情は全部分かってるぜ的な笑みが気に入らない。
「群れの中にもいなかった転校生がいきなり会長の部屋から朝帰りとあっちゃあ、どんだけヤバイことか、今の説明聞きゃー分かんだろ?」
 俺は頷くかわりに沈黙で滝田の言葉を肯定する。

 そりゃあきっと、親衛隊の皆さんや会長の順番待ちしてた奴らに問答無用でロックオンされたとは思うけど。
「ところがだ。会長、ここに至ってその手段をあっさり使いやがった」
「はぁ」
「誰がどんな目に遭おうと、嘘でも特別を宣言しなかったのに、いきなり全校放送で手を出すなと来たもんだ」
「はぁ」
「つまり、お前への嫌がらせごときであぁいう放送を流したって線は有り得ないわけだ」
 滝田は体を起こして、どう思うと言わんばかりに俺の顔を覗き込んだ。