35<指導>

「むしろあの放送はお前を救ったと思うぜ?」
 滝田の言葉は俺の中に何か不快な感覚を残した。
「知りませんよそんなの! 何なんですか! 誤解といてくれるんじゃないんですか!?」
「お前がゲイじゃないっつーのは分かった。色仕掛けもしてないっつーなら先生たちには説明しておいてやる。だから思い当たるフシがないか考えてみろ」

 気が付けば、滝田は再び俺の方へどんどん寄りかかってきて、腕を掴まれて逃げられない俺は上半身だけでも遠ざかろうと仰け反るうちに、いつの間にかソファの上に倒れこむ形になっている。
「ちょっと!! 近い! 近いって!」
「話を逸らしても無駄。会長が面食いって情報が誤報だったなら後は中身……ん? ……っお前!」

 あぁ! なんでこうなるかなもう!
「てめえ隠してやがったな?」
 昼休みに続き、こうも連続で……。俺、大丈夫なのか? こんな調子で、マスコミがユーカを忘れるまで誤魔化し続けられるのか……?
「おいおい。やっぱ会長の面食いは誤報なんかじゃなかったってことだな? ちっ、騙されたぜ全く」

 俺から取った眼鏡を指先でくるくる弄びながら滝田はさっきよりもにやにや笑って言った。
「……先生、俺の顔に心当たりないですか」
「は? 心当たり?」
 滝田は俺の言葉を繰り返しながら眼鏡を机の上に放り投げた。
「ちょ」
 ……壊れたら弁償しろよ!

 思わず睨みつけるものの、滝田は平然として首をかしげている。
「前にどっかで会ったことないですかって意味か? おいおい、お誘いの常套文句だぜそりゃあ」
「何言ってんですか」
 脳みそが沸いてるとしか思えない。
「ないなら別にいいんですよ。あんまり俺の顔の事人には言わないでもらえませんか。色々事情があるんです」
「おぅ、事情な。そんだけ可愛けりゃ隠した方が確かに賢い選択だ」
「………………まぁ」

 色々誤解してくれたみたいだけど、その方が面倒くさくないので俺は適当に返事をする。
 そしたら滝田はさっきよりも増してにっこりっつーか、にやっと笑った。
「けどな。お前みたいなのは顔を隠して殻に閉じこもってるなんて勿体無え。食わず嫌いは治さなきゃな?」
「……はぁ?」
 ぐっと身を乗り出してくる滝田。

「危うく指導方針を間違えるところだったぜ。恋愛相談だもんな。これが一番大事だよな」
「アンタさっきから何言って」
 言葉は途中で中断せざるを得なかった。
「……っ」
 胸の、ちょうどその部分を、シャツ越しとはいえ滝田の手が摘んだからだ。

「てめえ何し……え!?」
 滝田の体を押しのけようとした腕は、なんでかあっと言う間に片手でまとめられ、何が一体どうなったのかさっぱり分からなかった俺は一瞬あっけにとられた。
 あっけにとられたその一瞬に、その腕に何か水色のものをぐるぐる巻かれている。
 自分がしていたネクタイだと気付いて俺はさらに呆然とした。

「……えっ、えっ!?」
 何だそのスピード!? っつか手慣れすぎ!!
「っざけんな!! 離せクソ野郎!!」
「指導その1。とにかく罵声はNGだ。な?」
「っぐ」
 ありえねえ!

 口の中に押し込められたものがどうやら俺の制服の裾らしいことに気付いて、俺はシャツを捲り上げられたことを知る。
「なんだお前、中にTシャツなんか着てるのか? 駄目だ駄目だ。着るならタンクトップとか、肩とか脇のあたりが見えるようなんでないとな。その方がエロティックだぞ?」
「んぐぅううう!!」
 何の指導をしてんだてめぇはと怒鳴りたいのにそれが叶わない。口の中のものを吐き出そうとする前に口を押さえられて、俺は自分が怒ってるのか焦ってるのかさっぱり分からなくなった。

 腹にすうっと空気が流れる感触が加わる。
「おおいおい。そうか。確か転校生は交通事故で入院してたんだっけか。こりゃあどうするかな。いやこれはこれで扇情的……」
「っン! ウウ!!」
 俺は一瞬手を止めた滝田の隙を付いて、縛られたままの腕で滝田のシャツの胸倉を掴んだ。そしてそのまま手を交差させるように捻って首を絞めにかかる。

「うお、ちょ、ちょ、くるし……苦しいって!」
 慌てた滝田が口を押さえていた手を離して俺の手を外しにかかったので、俺は自分のシャツを吐き出す。
「……てんめぇえ!! このクソ教師が!」
「う、う、ちょ、落ち着い……」
 手が縛られてるせいでうまく力が入れられないせいか言葉をしゃべる余裕がある滝田は、俺の手をどかそうと掴んでた両手のうち左手を離した。
 なんだ、と思った直後、とんでもないところを触られて、俺の体は硬直する。

「ってめ! ふざけっ、どこ触って……!!」
 俺は下にある手をどかそうと思わず滝田の胸倉を離した。
「っとに手間のかかる……」
 けれど縛られてひとまとめにされている腕は簡単に滝田に制されてしまう。
「ここまで手こずらせる奴は初めてだっつうの。燃やしてくれんじゃねえか」
「お前は何なんだッ!!?」
 教師だろ!? 教師なんだろ!? 生徒押し倒して何やってんだと思う俺の常識は本当にこの学校では通用しないのか!?

「こういう怪我の跡はな、神経が過敏になってるから感じやすいんだぜ? いいカラダじゃねえか」
 教師にあるまじき発言をした滝田は俺の腹に顔を埋めていった。
「ひっ」
 生ぬるい感触に鳥肌がたつ。
「うああああ!」
 つうーっと移動する感触に耐えられず俺は悲鳴をあげた。

「もっと色っぽい声あげろっつうの」
「死ね!! 変態!! クソ野郎!!」
「駄目だっつってんだろ」
「ふアっ!」
 生ぬるい感触が胸に降りてきて視界が滲んだ。
 駄目だ、嫌すぎる、耐えられない。

「……っか」
 視界を、頭の中をよぎる、大事な、大事な……俺の、
「ゆぅか……っ」
「ん? なんだって?」
「はなせぇーっ!!」

 バァンと大きな音がしたことだけは耳が確かに捉えていた。

「ちょ、おいおいおい、うわ」
 頭上で滝田の焦る声。直後、ばきぃと派手な音。
 ソファの向こうから誰かが滝田を殴ったのだと気付くのは早かった。
 姿こそ見えなかったものの、滝田の頬に伸びた拳だけはソファの上の俺からでも見えたからだ。

 だだだんと盛大な音を撒き散らして床に転がる滝田。
 俺はとりあえず呆然としながら瞬きを繰り返した。
「毎度毎度っ、恋愛相談なんてくだらねぇもんにかこつけて調子のりやがって……!!」
 突然の乱入者はこの学校には珍しいくらいの声音で怒りを撒き散らしている。
「相談に行く方も行く方でどうかしてっけどなァ、めっちゃ嫌がってる声聞こえさしてんじゃねえよ! おちおち昼寝もしてらんねえ!」

 ここに至って俺は気が付いた。
 社会科準備室は、建物の構造上、屋上のすぐ近くにあるのだ。
 そして気付いたことがもうひとつ……。
「……いがらし?」
「あぁ?」
 ぶっきらぼうな返事が聞こえ、相手はソファの上からひょいっと顔を出した。
「………………」
 間違いない。
 昨日血が出ていた額の傷に保護テープを貼り付けている五十嵐がそこにいた。

「誰だよてめぇ」
「……いやいや」
 昨日の今日でそれかよというツッコミを頭の中で入れる。
「はんっ、今日はまた可愛いのが相談に来たわけだな? 簡単に襲われやがって。顔が可愛けりゃ男が守ってくれると思ってんのかよ、情けねぇ」
「………………」
 五十嵐の言い様はムカついたが、情けないのは俺も同じ気分だったので非難は黙って受けた。

「なんとか言え、って……、お前その怪我」
 五十嵐がふと顔色を変えたので俺は慌てて捲りあがったまんまのシャツをおろした。
「てめえ昨日の保健室のやつか?」
「……まあ、どうも」
 俺は兎にも角にも体を起こす。
「あっはっは! なんだお前その顔! ただのネクラかと思ってたらやってくれるぜ。昨日と言い今日といい、お前も襲われやすい野郎だなあ? 呆れ通り越してウケる」
「……俺も笑いたいよ」
 他人事であれば笑えるだろう。だがしかし、問題は自分の身に降りかかっているというところだ。
「っつか、お前。……どっかで会ってたか? 昨日じゃなくて」
「………………」

 まずい、ユーカのことだ。
 俺はぎくっとして沈黙する。
 事情を話して口止めをするにも、こいつ面白がって言いふらしそうな気がすげぇするんですけど。
「……会ってないと思うけど。俺、一週間前に転校してきたばっかだし」
 だから一番興味を失いそうなつまらない答えでごまかすことにした。
「………………」
 五十嵐は眉をひそめて一瞬黙り込む。何か考えたらしかった。
「そういや速報に写真が載ってたな……。お前が佐倉夏樹か」
「…………言っとくけど、俺は女の子が好きだからな」
 ホモ嫌いの五十嵐がいらっとした表情をしかけたので俺は釘を刺しておく。
 昨日みたいな乱闘騒ぎになるのはゴメンだ。今体調は悪くないと思うけど、いまだ縛られたままの腕で不利なのは間違いない。

「ぁあ? ホモじゃねえのに会長に惚れられたのか? ははは、泣けるなそりゃあ」
 泣けると言いながら笑った五十嵐は、ぐずぐずすんなと言って手を出してきた。
「………………」
 どうやらネクタイをほどいてくれる気らしいことに多少面食らいつつ、俺は大人しく指示に従う。

「ま、昨日は俺も悪かった。この学校でキスマークが理由以外で裸になれねえ奴がいるとは思わなくてな。ははは」
「………………」
 昨日つけられたらしい高嶺のキスマークが見られなくて心底良かったと俺は思った。
 鎖骨のあたりだけで腹につけられてなかったのが幸いしたわけだが。

「っつつつ。てめぇは本当、俺を目の敵にするよなあ……」
 顔を殴打されたダメージからようやく回復したらしい滝田がそろそろと起き上がって頬の様子を確かめている。
「うるせえ。俺はホモが嫌いなんだよ。恋愛相談係任されてんの利用して生徒に手ぇ出しまくりやがって」
 五十嵐の言葉にマジかよとびびる俺。
 だが滝田はふんっと鼻で笑ったようだった。
「で? 丸山とはどれくらい仲良くなったんだ?」
 ぶわっと、五十嵐のまとう雰囲気が一変したのに俺は気が付いた。

「おい。一発じゃ足りねぇのか……?」
「ちょちょちょちょ! お前大丈夫か!?」
 死人とまではいかないにしても、病院送りが出そうなオーラを噴き出させて滝田に向かう五十嵐を、俺は慌てて止めにかかった。