36<純愛>

「……にしてんだよ! 離せ! てめぇどっちの味方だ!?」
「いや分かったから落ち着けよ!」
 何が分かったんだか自分でも分かってなかったけど、俺はとにかく、さらに滝田に殴りかかろうとする五十嵐を必死で押し留める。
「殴るんなら冷静になれって! 挑発されて動いたらあんたの負けだ!」
「ぁあ!? てめえ! おい! くっそ、っの野郎……!」

 いらいらとした五十嵐の声が少し落ち着いてきたような気がした時だった。
「何やってるんだ!? ……五十嵐!」
 入り口から声があった。
「……あぁ、丸山センセ」
 視線を向けると、滝田の言葉通り、保健医の丸山先生がそこにいた。

「滝田先生! 何があったんですか!? 五十嵐! お前はまた……! あ、佐倉くんっ?」
 最後にとってつけたように呼ばれた俺は、ちょっと顔をひきつらせてどうもと呟いた。
 事態の収拾を図っていたとはいえ、五十嵐の腰に抱きつくようにしがみついている姿は何とも間抜けだ。
 五十嵐の殴る気が失せたらしいのに気付いて俺は慌てて離れる。

「お前はまた何をやってたんだ!? 問題ばかり起こして! 滝田先生、すみません! 大丈夫ですか!?」
 丸山先生は青い顔で滝田に駆け寄る。
 滝田は手をひらひらと振ってへらっと笑った。
「まあ大丈夫ですよ。丸山先生こそ、どうしたんですか?」
「いえ借りてたCDを返そうと……わっ、頬赤くなってるじゃないですか!」

 滝田の世話を焼きだす丸山の後ろで、さっきから一言も発しない五十嵐がじーっと突っ立っている。
 俺は何が何だか分からなくて五十嵐の様子を窺おうと顔を覗き込もうとしたら、がっと腕を掴まれた。
「わっ」
 五十嵐はそのまま無言で歩き出す。
 俺は引きずられるようにして準備室を後にした。


「……眼鏡とられたまんまなんだけど」
 問答無用で屋上の方へ連れて来られた俺は、一応そう言って抗議してみる。
 そしたら五十嵐はちらっと俺の方を振り返って、深々としたため息をついたのちに俺の腕をようやっと離した。
 屋上の金網にもたれてぼうっと空を見上げている。

「……ホモ、嫌いなんじゃなかったのか?」
「………………」
 五十嵐は無言だ。
 ってか、確か昨日丸山先生、五十嵐は三年だって言ってた気がするけど……。タメ語でも、まあいいか。

「丸山先生が好きなのか?」
「誰がだよ」
 五十嵐の言葉にはあんまり力がなかった。
「滝田の言葉と丸山先生の態度に対するあんたの落ち込みっぷりを総合的に判断すると、そうなった」
「別に好きとかじゃねえよ」
 ぎろっと睨みつけてくる。

「じゃあ、何」
「丸ちゃんは滝田が好きなんだよ」
「………………えっ、うっそ!」
 五十嵐の言葉は意味の把握に時間を要したけれど、一度理解してしまったら衝撃の事実だった。
「うえええ!? なんでどういうことで!? 恋人なのか二人!?」
「ちげぇよ」
 五十嵐は低音ボイスでぶっきらぼうに否定する。

「丸ちゃんは滝田の守備範囲じゃないからな。あいつは生徒とか、未成年くらいの年下しか興味のねえ終わってるゲイだ」
「………………」
 なんか、そんな人生を歩んでる滝田が可哀想になってきた。
「丸ちゃんの片思いっつーやつだ。うざすぎる。丸ちゃんも見る目ねえよな。よりによって、って感じだぜ」
「………………う、うぅぅ、うん」
 首を縦に振って頷くしかない。

「滝田は丸ちゃんの気持ち知ってるくせに、気付いてんのに拒否らねえしよ。応える気ねぇなら期待させんなっつうの。それがルールってもんだろうがよ。だから滝田はムカつくんだよ」
 五十嵐はそう吐き捨ててその場に腰を下ろしてしまった。
 俺は仕方なくその隣に少し距離を置いて腰掛ける。流されてるような気がしないでもなかったけど。

「あのさ、それ嫉妬じゃなくて?」
「嫉妬ぉ? 俺はホモじゃねえっつってんだろうが」
「でも丸山先生好きっぽい発言だし」
「てめぇもこの学校に毒されたな。男を好きなら全員ホモってか」
「いや……」
「キスしてえとか押し倒したいとかそういう好きじゃねえんだよ」

 俺ははっと目が覚めたような気がした。
「………………」
 そうそうそう! それそれ! 俺がこの学校に来て否定され続けてきた感覚はそういうのだよ!
「まあ、手くらいは繋ぎてぇとか思わないでもねえけどな。はは」
「………………」
 あれ?

 そうそうそう、と思った俺の感覚は、五十嵐が続けた言葉で少し違和感を突きつけられた。
「…………恋愛感情の好きじゃないんだよな?」
「そうだっつってんだろ」
 だったらなんで手を繋ぎたい系?

 思った言葉は口にしないで喉の奥に押し留めた。そして小声で呟く。
「あんたプラトニックってたまかよ……」
 手を繋ぐ以上のことが想像もできないくらいの純愛を、人としての尊敬や憧れとを錯覚してやいないだろうか。
 年上でさらに男だもんな……。好きだなーって自覚しても、その種類が後者以外のものであるとは考えないよな普通。
 ましてや、滝田嫌いのせいで、ホモに対しても超否定的な考えが根本にあるし。

「あぁ駄目だ。ホントに毒されてる……」
 そっち方面の思考を、ありえないことではなく考え始めてる自分が嫌だ。
「さっきから何言ってんだ」
「報われなさすぎる。どっちも」
「どっちもって何だ」
 アンタと丸山先生だよとは死んでも言わねえ。

「っつかお前さ、その怪我やべえよな。マジで殺されかけてんじゃねえか。一体何やらかしたんだ?」
「え、あ、怪我……?」
 いきなり変えられた話題について行くにはタイミングが合わなかった。
「俺も中学の頃は地元にいたからなあ。相当悪さしてえらい目にもあったけど。正直お前のはビビるわ」
「………………何の話?」
 事故で怪我した傷跡の話かと思ったら、五十嵐の言う内容はどうもズレて聞こえる。

「何の話ってお前、そのリンチの跡だよ」
「…………は?」
「あ。いや、わりぃ。触れねぇ方が良かったか?」
 五十嵐は初めて、俺に気を使うような表情をしてみせた。
 俺は意味が分からなくて、とりあえず根本的な部分から話のズレを修正しようと試みる。
「交通事故の跡なんだけど」
「は、交通事故?」

 五十嵐は見事に顔をしかめて訝しがる。
「おいおい。俺みたいな奴に隠したって仕方ねぇだろ。ちょっとやそっとの悪さじゃ引かねえし、噂たてたりしねえよ。俺が人の事言えねえしな」
 五十嵐は、はっと息を吐いて笑った。
「ま、てめぇがそう言い張るなら納得してやらんでもねぇけど。ヤキ入れられたなんて話、ある意味認めたくねえだろうからよ」
「いやだから交通事故だって」

 なんで五十嵐が話をそっちに持っていこうとするのかさっぱり分からない。だが今度は五十嵐が意味不明だと言うような怪訝そうな顔をした。
「お前まさか本気で言ってんの?」
「何が」
「隠したって無駄だ。俺はバイクで事故った奴何人も見てるから分かんだよ。交通事故でンな傷跡ができるわけがねえ」
「………………」
「そりゃあナイフとかでざっくりやられた傷だ。ちらっと見た分にゃ、タバコの跡もあったろ」
「………………」
 俺はひとまず無言になった。