37<傷跡>

 ナイフと、タバコ?
「何言ってんだアンタ」
 そんなワケあるかっつうの。
「おいお前、まさかマジで本気?」
「本気っつうか……アンタこそ何言ってんだよ」

 そりゃ肝心の事故の時の記憶はぶっとんでて覚えてないけど。
 直前の、みんなで乗ってた車の中とか、ヘッドライトか何からしい強い光くらいは覚えてる。
 あれが交通事故じゃないなら何なんだ?
 強盗に遭ったとか? そんなことで車が潰れるか。
 俺は意識を取り戻してから、みんな死んだなんて信じられないって言い、潰れた車の写真を見せてもらったんだ。

「意味分かんねえ。だいたい、ちらっと見ただけだろ」
「ああ? 見間違いだってか?」
「それ以外に何があんだよ」
「てめぇ、そこまで言うならもっぺん見してみろよ」
「はぁ? なんでわざわざ」
「納得いかねえ。意味が分からんのはこっちだ。お前本気で言ってんだよな? おかしいっつうの。納得いかせろ」
 五十嵐はこっちに向き直って顎をしゃくってくる。

「脱げ」
「……マジかよ」
「見間違いなら見間違いでいいじゃねえか。証拠見せろっつってんだよ」
「あー、メンドくせえなもう……」
 どうやら引きそうにない五十嵐の視線に負けて、俺はシャツのボタンを外しにかかる。
 ネクタイは五十嵐が腕からとってくれたのを返してもらった時にポケットに突っ込んだままだ。

 シャツを地面に脱ぎ捨てて、着ていたTシャツもガッツリ脱いだ。
「これでいいかよ」
「……おい。気持ち悪い痕つけられてんじゃねえよお前も」
「は? え? きも、……っあ!」
 見せろっつったくせになんで今さら傷跡が気持ち悪いのかと思ったら、俺は大事なことを失念していた。

「……いやこれは!」
 胸元のキスマーク!!
「なんつぅか無理矢理……っ」
「滝田もほんっと、ろくでもねぇことしかしねえよな」
「え、あ、たき……、たきた! そう滝田!」
 高嶺から受けた屈辱をこうも人に知られるのはマジで勘弁してほしかったところだったから、五十嵐の勘違いは俺にとっては超有難かった。
 滝田の件で済ませられるならそれでいいや。

「そ、そうそう。ほんと、ありえねえ」
「ははっ。マジで保健室着替えだな」
「…………お、おう」
「ってか、……やっぱ、見間違いじゃねえだろが、その傷」
「え?」

 五十嵐は俺の方に顔を近付け、目を細めて言った。
「交通事故でこんな怪我の仕方してる奴、見たことねえ」
「……お、俺はバイクじゃなくて車に乗ってたんだよ。あんたの知ってる交通事故なんて当てになるか」
「ぁあ、車? だったらなおさら不自然じゃねえか。バイクとか歩きとかで轢かれて引きずられたっつーならあちこち切ったっておかしかねえけどな。車に乗ってたなら普通切るより打つもんだ。ムチ打ちとかな」
「…………き、切れたのは、ガラスの破片とか」
「破片が刺さったならそんな一直線に長い傷跡になるかよ」
「………………」

 五十嵐は無言で俺の腕を掴んで引き、前を向いていた俺の体を反転させた。
「それに方向もバラバラだ。仮に引きずられたりすることがあったんだとしても、できる傷は同じ方向に流れる」
「…………」
 意味が分からないのは相変わらずなのに、五十嵐の言葉には矛盾がなくて、俺はどう反論していいか分からなくなる。
「それに中をやられることが多いから後遺症も残る。手ぇ痺れたり足ひきずったりな。けどお前は見たとこピンピンしてんじゃねえか。派手な怪我の跡の割りには」
「………………」

「それにここ。……これはタバコの跡だ」
「っう」
 いきなり指で背中を押され、息を詰めて沈黙していた俺は声を漏らした。
「昔親にやられたとか、彼氏にやられたっつう奴の跡知ってっけどよ、同じだぜ? 本気で事故だと思ってんなら、ありえねえ」
「………………」
「聞いてんのか?」
 反対に腕を引かれて正面を向かされる。

「おい、呆けてんじゃねえぞ」
「…………俺、一ヶ月、昏睡したんだ」
「あ?」
「トラック……、直前までは覚えてるけど、その後一ヶ月……意識不明で……」
「一ヶ月も昏睡? 頭でも打ったのか」
「……あ、頭? 頭に怪我は……しなかった、みたいだけど」
 目を覚ましたとき、頭に包帯は巻かれてなかった気がする。

「事故……、だって、事故以外に何があんだよ……? 車だって潰れて……、母さんも、姉ちゃんも……」
「家族も一緒の事故か? 家族の怪我の跡はどうなんだよ。見たんだろ」
「そ、そんなの……一ヶ月もたって、どうやって……」
「は?」
「と、とっくに骨になってた……! どんな怪我したかなんてっ、死ぬような、怪我だったって、くらいしか……っ」

 何だろう。何だろう。
 何なんだろう、この違和感は。
 母さんと、彩姉ちゃんと葉姉ちゃんは即死で……、夕香は昏睡のまま……。
 俺だけ、俺だけが意識を取り戻して。

 医者とか、警察の人が、色々、何があったか教えてくれて。母さんの友達だったって陽丘さんが、葬式も全部済ませたって。リハビリ……、昏睡で筋肉が落ちたから、それを回復させなきゃっつって……。
「俺だけ……、俺だけ、助かったんだ……」
「………………」
「そんな、そんな、みんな死んだのに……、事故じゃなかったら何が……」
「…………」
「なんで、みんな死ななきゃ……。な、ナイフ? タバコって……、交通事故でなんでそんな……っ」

 殺されかけてんじゃねえか。五十嵐はさっきそう言った。
 じゃあ母さんたちは殺されたのか? 事故じゃなくて、誰か人に襲われたのか? 強盗? 即死だったって。意識不明のままだったって。苦しまなかったって。
 嘘なのか? 苦しんだのか? 強盗、襲われて……、そんな。酷い目に……、ひどい、酷い目……。

「……おい」
「……っ、な、んで……」
「おい」
「ぅ……、っはぁ」
 焦る。どうしよう。そんなこと、どうしたって取り返しがつかないのに。
「おい!」
「はぁっ、は……っ」

 息が、息が苦しい!
「落ち着け! どうした何なんだ!?」
「い、いき……っ、できな……」
 過、呼吸? 高嶺の言ってた……これが?
「お前なんか病気でもあんのか!? おい! どうしたらいい!? どうしてほしい!?」
「っハ、……はァ」
 そんなこと、知るか。俺だって、今初めて……、焦るし、何を、どうすれば。頭の中が、ぐちゃぐちゃして。

「そこをどけ」
「……っは」
 聞き覚えのある声が、降ってきたなと思って、顔をあげたら、何も見えなかった。