38<本気>

 熱い手に、すがりたくなる。

 その時にふと思ったのは、そんなことだった。

「ん、う……っ」
 苦しい息はそのままだったけれど、散らばっていた意識が戻ってくる。集中力が戻ったというか。
「……ん、っう」
 いやいや! これに集中したら終わりだって俺!

「おい……。もう正気に戻ってっぞ」
「んぅううーっ!!」
 俺と五十嵐の二人の抗議を受けて、そいつはようやく俺から唇を離した。

「高嶺ぇっ!!」
 何も見えなかったのは、高嶺が至近距離にいたせいだ。
「運がよかったな」
「はぁあ!?」
 開口一番、全く意味が不明な感想をお述べになりやがった生徒会長様は、いまだ俺の後ろ髪から手を離さない。
「お前が滝田に呼び出されたって聞いてな。ドジ踏んで素顔を晒すようなことになったらお前なんて即行アウトだと思ったんだよ。案の定だ。眼鏡が置き去りにされてた」
 どうやら準備室から持ってきてくれたらしい眼鏡を高嶺はちらつかせる。

「……あぁそう。それはどうも」
「近くにいると思って探して正解だったな。俺も驚いた。また発作が起きたのか?」
「…………発作……っつうか、なんか、ちょっとテンパっただけ……。ってか! いい加減離せよ!!」
 普通に会話をするには不自然すぎる距離だ。
 隣で五十嵐がジト目になっている。

「……あんた、五十嵐涼太か? 三年の」
 高嶺は俺の話を完全に無視して五十嵐と話を始めようとする。
 ならますますこの距離はいらねえだろと、勝手に抜け出そうともがいたら、腕をがっちり掴まれて敢え無く失敗に終わる。
 …………俺ってもしかして非力なのか?

「そうだけど。なんか?」
 五十嵐は警戒心むき出しの返事をする。
 さすが五十嵐。高嶺には同じくタメ語かと思ったら、そういえば高嶺は二年だから三年の五十嵐の方が先輩なんだったことにふと気付く。
「あんた、ホモ嫌いの噂はどうしたんだ?」
「ああ?」
 ぴき、と顔をひきつらせる五十嵐。

「何が言いたいわけ?」
「こいつが裸になってる訳を聞かせてくれないか。何をした?」
「はぁ?」
 高嶺の指摘がだいぶ的を外していた為、五十嵐は盛大に眉間にしわを寄せた。
「おいおい。どっかの社会科教師じゃあるまいし。男が全員ホモだとでも思ってんのかあんたは」
「違うならいい。訳を聞かせてくれ」
「………………」
 五十嵐は黙って俺に向かって顎をしゃくってくる。
 俺に説明しろということだろう。

「……じ、自分で脱いだんだよっ。怪我の跡のことで、ちょっとあってな! いいからこの手離せ!」
「お前大丈夫か? なんでまた過呼吸なんかになった?」
「あんたに関係ないだろ!」
「助けたのは俺だ」
「頼んでねえ! っつか! んなことでいちいちキスしてくんな!」
 油断も隙もねえ!

「……放送聞いたか?」
「おいっ、話聞け!」
 高嶺は俺の腕をがっちり掴んだまま、正面から話題を変えてくる。さっぱり意味が分からない。
「本気だ」
 分からない。
「好きだ」
「…………っ」
 分からないんだってば!

「っ俺は嫌いだ!」
「おい傷つくだろ」
「勝手についてろ!」
「話はそれだけか?」
「はぁ!?」
 高嶺はしごくクソ真面目な顔でさっきから話しかけてくる。

「告白、拒否、終了、って思ってないか? 諦めるわけないだろ。この俺が」
「諦めろよ! 俺はノーマルだって昨日分かったんじゃねえのか!?」
「それはそれで面白いと思っただけだ。女が好きでも関係ない。俺さえ好きならゲイでなくても問題ないだろ」
「大有りだ!!」
 だからそもそも! お前がなんか好きじゃないんだ俺は……! 男とか女以前に、気持ちもないのに無理矢理コトに及ぼうとする人間なんて嫌いだ!

「昨日何もしないって言ったくせに……! 俺は信じたんだぞ!」
「それか。よく思い出してみろ。俺は昨日、今日のところは信じられてやるって言ったんだ」
「…………な」
「今朝ならもう日付も変わって時効だろ?」
 そう言って高嶺はいつものにやり顔をしてみせた。

「なんつう言い草……っ!」
「騙されたってか? 昨日はわりと、してやられたからな。仕返しだ」
「な、な」
「本気だ。初めて心臓にキた。こういうことかって初めて知った。好きなんだ。変えられない」
「…………っ」

 返す言葉が、ないじゃないか。

「…………っめがね! 返せよ!」
 俺は自分が言葉を返すより、自分が眼鏡を返してもらうことを選んだ。
「あぁ、ほら」
 高嶺は俺の腕を掴んでいた腕を離し、胸ポケットに入れていた眼鏡を俺の前に差し出す。
 俺はそれを無言で受け取り、顔にかけながら立ち上がった。
 今度は高嶺は引きとめようとせず、俺を見上げている。

 その視線が耐えられない。嫌悪というより、何だ? 罪悪感? なんで。
「五十嵐」
 俺は違う名前を呼んだ。
「シャツ」
「……俺を使うか。いい度胸してんなお前も」
 五十嵐は言いながら制服のシャツとTシャツを拾って、ん、と俺に突き出してきた。

 俺はそれを引っつかんで、さらに五十嵐の腕も掴む。
「お、おい」
「あんたの話は気になる。行こう」
「いいのか? ほっといて」
「俺は答えた。返事はした」
「あぁ、そ」
 五十嵐の腕を引いて目の前を横切ってく俺を、高嶺は無言で見送っている。

 俺はふと一瞬だけ足を止めた。

「……高嶺」
「ん?」
「発作。止めてくれてありがとう。そんだけ」
「………………」

 返事は聞かずに、歩き出した。