40<脳内>

 寮に入ってからそういえば一度も立ち上げていなかったPCの電源を付け、仮歌やら完パケやらのデータが入っているファイルを開いてとりあえず連続自動再生されるようにしてから十数分。
 ミルクティをちびちび飲みながら、やることがなくて携帯をいじっていた俺は、光が勢いよく振り返ってきたのを視界の端に捕らえてふと視線を光にやった。
「なっちゃん……」
「ん? ど、どうした?」
「あのね……、この曲歌ってるの、もしかしてなっちゃん……?」
「え……?」
 言われて俺は初めてそのことに思い至った。

「あー、そういうのも混じってるな。ユーカのデビューが決まってからはユーカ忙しくなって、作りかけの曲の仮歌はとりあえず俺が入れてたから……」
「か、仮歌って何!? 歌が仮ってこと!?」
「お、おぅ、そのまんまだよ……。とりあえず歌声入れたらこんな感じになりますって仮で歌入れたやつな……」
 双子だったせいか、男女の違いはあっても声質は似ていたし、男の俺が入れた仮歌でも何の問題もなかったのだ。
 俺の声があんまり低くないっていうのもある。

「なななな何それどういうことー!? 全然意味分かんないけどかっこいい! わーやっぱりこれなっちゃんの声なんだ! うそ初めから聞くー! 要いい!? この曲最初からにするね!」
「おぅ、そうしてくれ。光の声で今全然聞こえてなかった」
「わーごめん!」
 俺を置いてけぼりにして、二人は曲に夢中になっている……。

「…………」
 あれ? なんか居たたまれなくなってきたぞ?
「あの……なんか恥ずかしいから、その曲飛ばして……」
「やだよ!」
「恥ずかしくなんかないだろ、こんないい曲なんだから」
「………………」
 もともとまったく意識してなかったから、隠すつもりもなかったし、そのまんまフォルダの中の曲を全部自動再生にしておいたんだけれども。
 こうも反応されて褒め称えられると、俺はどうやってこの空間に存在してていいのか分からなくなってくる。
 

「……なぁ、いい加減、飽きねぇ?」
 さらに数十分が経って、フォルダ内の曲をエンドレスで聴き続けている光に向かって俺はそう呟いた。
「ぜんっぜん」
 光はソファに沈み込んでじーっと聴き入っている。
 要もその隣で目を閉じながら同じく、だ。

「……あのー、そのファイルさ、歌まだ入れてないのも入ってるだろ? そんなん聴いてて楽しいか……?」
「…………ちがうの。そういうのはね、なっちゃんがこれ一個一個の音選んで作ったんだなって思うと、かっこいいんだよ」
「あーそう」
「歌はホント、すごいよ。やっぱ上手いと思ったんだ……」
 光はパソコンの画面から視線を外さずに言う。
 プレーヤーソフトの、音にあわせて変化するエフェクトをさっきから食い入るように見つめていた。いや、見ているのはたぶん、画面の向こうの、曲を聴いてイメージしてる何かの景色なんだろうけど、たぶん。

「なっちゃんの声って歌うとこうなるんだねぇ……」
 光はしみじみと呟く。
「な、なんだよ……。ユ、ユーカの……女の子の音域に合わせた歌なんだから、ちょっとキモいのは分かってんだよ」
「何言ってんの!」
 ふいに画面から視線を外して叫ぶ光。

「……なにって」
「ぜんぜんいいよ! いいんだよ! ……なんか中性的でさ、素朴で柔らかくて、でもまっすぐな感じっていうの……? とにかく聞き惚れてんの今!」
「……はあ」
 そう言って光は今度は目を閉じて再び曲に集中し始める。

「あー、ありがとう」
 どうやら本気で褒められたらしいのは分かる。
「なんか、すげー気に入ったのな……」
「あぁ、夏樹ごめん。こいつ気に入ったもん見つけると周り見えないっつーか……。夏樹暇だよな。俺らが聴いてばっかだと」
 要が顔をあげて悪い悪いと笑う。

「いや、気に入ってくれるのは嬉しいんだけど……、なんつーか手持ち無沙汰……じゃないな、気持ち無沙汰? いたたまれない」
「……なんだ照れてんのか」
「て、て……いや、そんなんじゃねぇ、けど」
「ははは。有り有り。そんなお前も面白いよ。会長に見せんなよ。余計惚れられるぞ」
「はぁ?」

 意味が分からんと返事を返したけれど、さっきの屋上での高嶺の姿が脳裏に浮かんだ。なんか、なんでか、急に真面目になったような……、変な高嶺だった。
 周りにいくら言われても疑っていた本気を高嶺本人の口から聞いてしまうと、結構焦る。
 でもやっぱり意味が分からないのは、あの一晩のやり取りで一体俺の何をどう分かって本気で惚れたなんて言ってくるのか、ってことだ。

「……放ってればそのうち冷めるんじゃねえの」
「お。会長の本気は一応認めたのか?」
「…………本人から直接言われりゃな」
 正直、そん時俺は本気でびびったけど。
「え! マジ!? 会ったのか!? いつ!?」
 要は驚いた顔と声でソファから身を乗り出してくる。
「滝田の呼び出しの後。真面目に告られたけど正面切って拒否ってきた」
「……うわー、会長可哀想だなぁ」
「可哀想なのは俺だっ」
 ノーマルなのに、男に惚れられて。しかも相手はなんかよく分からん面倒くさい遊び人。

「うーん。放っとくっつーことは、ほとぼりが冷めるのを待つってことかぁー。……あー、でもそうなると親衛隊が問題だよなあ」
「何?」
「今は会長が夏樹に手を出すなっつってるからいいけど、会長が冷めるってことは、夏樹のことで親衛隊を牽制することもなくなるってことだろ? そしたらヤバくないか?」
 光は話に参加する気は全くないらしく、さっきから姿勢は全然変わっていない。

「……大丈夫だろ。ここ上品な学校だからな。リンチっつってもたかが知れてそうだ。正当防衛が適用されんなら暴れまくって大丈夫だしな」
「た、頼もしいな」
 不安そうな要。
「大丈夫だって。それになんかありゃ助っ人に来てくれそうな奴もいるし」
「え、何だそれ」
「三年の先輩の五十嵐って人」
「五十嵐ぃ!?」
 そこまで驚くかって程要は驚きの声を上げた。

「ちょっとあってさ。……噂があるのは知ってる。不良ーって感じだもんな、あの人。けど、メアド交換したんだぜ今日。ほんと自分でもウケるよ」
「……う、ウケてる場合かそれ」
 要の顔はかなり引きつってたけど、俺は気にしないことにした。
「ちょ、ほんとお前、俺心配になってきた。見てないとこで何やってるか全然分かんねえ」
「俺のことは見てなくていいよ。光だけで精一杯だろ?」
「あ、あぁ、いや、まあ……」

「もー! 僕今なっちゃんの曲聴いてんだから耳元で喋んないでよー!」
 話題が自分に向いたのに気付いたのか気付いてないのか、光がいきなりそう叫んだ。
「あぁ、ごめん」
「聴き溜めしてるんだから! 脳内エンドレス再生できるように今頑張ってんの!」
「脳内再生って……」
「だってすごいイイんだもん!」

 光は必死だ。
「…………なぁ、光。光ってCDプレーヤーとか持ってないのか? あるならCD焼けるけど」
「えっ」
 思いっきり反応する様子はまさしく、耳ダンボ。
「何なに!? どういうこと!?」
「いや、だからCDプレーヤー……、あるならこのパソコン、ドライブ付いてるからCD焼けるけど……」
 なんか、そこまで気に入ってくれたんなら、ちょっとなんか、嬉しいものがあるじゃないか。

 だがしかし、光は目に見えてしゅんとする。
「ごめん、僕部屋にノートパソコンならあるんだけど……、CD読み込めないやつで……音楽はいつもスマホで配信のやつダウンロードするから、CDプレーヤーもないし……」
 もし今光に犬の耳が生えてたら、きっとぺったんこに折りたたまれてたろうと思う。
「あー、じゃあデータをメモリとかに移して……。いや、そういや俺使ってないCDプレーヤー持ってるわ。ポータブルのやつ。MP3プレーヤー買ってから全然使ってないの。それ貸すから」

「えっ、えっ! ほんと!?」
 光の目が輝いた。あったら的な犬耳がピーンと立つ。
「よ、良く分かんないけどほんと!? え、部屋でも聴ける!?」
「聴ける聴ける。ただしイヤホンかヘッドフォンな。……けど夢中になって要ほったらかしにしてやんなよ」
「しない! ほったらかさない! うわあ! ほんとに!? やったあ!」
 光のガッツポーズを横目で見つつ、俺はいまだ整理していないダンボールの荷物を探り、CDだのプレーヤーだのの発掘に取り掛かった。