58<連絡先>

 とりあえず煮られも焼かれもしなかった俺は、次の日の朝、部屋を出たところで思わず固まってしまった。
 だってそりゃ、固まりもするだろう。
 昨日俺に宣戦布告っぽいものをかましてきた篠原が、一人で、俺の部屋の前に立っていた日には。
「……何か、用?」
 俺は無視するのも面倒そうなので、とりあえず訊く。
 用もないのに俺の部屋の前に突っ立っているわけが、この場合はないだろう。

「佐倉くん。携帯持ってるよね」
「え? あ、あぁ」
 携帯? 携帯に何の用だ? 貸せって言われても貸さないぞ。こいつ目の前で床に叩きつけて画面割るとかしそう……
「連絡先、教えろ」
「…………はあ?」
 つい、聞き返してしまった。

「何でもいいから連絡先だよ。この広い学校で、クラスも違うし寮の部屋も棟が違う君と携帯で連絡が取れないのは不便だろう」
「……………………」
 それ以前に、俺と連絡取ろうとする行為自体が起こりえるのか甚だ疑問なんデスガ。
「えーっと、篠原って言ったっけ?」
 一年だし、呼び捨てでいいか。
「ぶっちゃけ、俺をどうしたいわけ?」
「君はどうなりたいんだ?」
 訊き返されてしまった。

「……えー、それは……俺の希望を考慮してやるよとかいう意味合い込めてる?」
「内容による」
「ですよねー」
 全っ然掴めねぇこの篠原とか言う奴。

「あー、とりあえず、殴り合いになる前にお話し合いで解決できればいいなあくらいなことは思ってるけど」
 ふいに、高嶺の、喧嘩するな命令が頭をよぎる。
 たぶん、この小柄な篠原が一人俺に殴りかかかってきたって発作は起きないだろうけど、高嶺とか五十嵐みたいに体格に差のある奴とかに、すげえ迫力付きで襲われたらやばい気がする。
 昨日考えたんだ。
 瑠璃川先輩と初めて会った日、三年の連中を追い払うのにはどうもなかったのに、五十嵐の時は手も足も出なくて、高嶺の時にはフラッシュバックまで起こしたのか。
 相手が強そう。もうこの一点につきるしかない。

「何、僕が暴力に訴えて君を無理矢理思い通りにするとでも?」
「……あんたはしなくても、あんたの周りにいる奴らがそうしないとも限らない気がするし」
「僕がけしかけるかもしれないって?」
「かもしれないと思えるくらいに、親衛隊の噂は聞いた」
「ふうん」
 意味を読み取れない返事を篠原はする。
「まあね、ルール破りにはそれなりに罰を与えなきゃ。一度見逃すとキリがなくなるし、ルールにも抑止力がなくなる。そうなれば一番迷惑をこうむるのは会長だ」
「……あー、そう」
 俺も微妙な返事を返した。

 高嶺も確かに言ってた。親衛隊は過激だけど、実際役には立ってると。
 だから今まで、色々問題があったにせよ、公式に解散命令を出したことはないんだろう。
「で、俺はルール破りをしたことになってんの?」
「……特殊なケースだよ」
 篠原の声のトーンが下がった。
「そもそも僕たちのルールは全部会長の為だ。その会長がルールに特例を作れと言うならそうするしかない」
「……あんたは納得してないってか」
「あはは。僕の意見はどうでもいいんだよ。……早く携帯出してくれない?」
「え、ホントにそれ聞きに来たのか」

 半ば冗談だと思っていた分、本当に意外だ。
「僕らの仕事は会長のサポートをすることだ。それがつまらない私情にかられて、会長の近くにいる人間のことも把握できていませんでしたなんて訳にはいかないからね」
 余裕の態度ですらすら説明してくる篠原。昨日の寮の一階でのアレは何だったんだ? 一晩たって考え変えたのか?
「…………篠原、お前実はカッコイイ奴?」
「……君、馬鹿? いいから出せよ携帯を」
 イラっとした感じで命令してくる篠原。褒めたってのにほんの少しの照れもなく、全部が怒りに変換されるんだから、俺のことは相当嫌いなはずだ。
「あぁ、分かった。教える……」

 メッセージアプリのIDを交換し終えると、篠原はふっと息を吐いて携帯をポケットにしまいこんだ。
「あぁ、そうそう。連絡先は交換したけど、僕はお前を会長の傍にいるべき人間として認めたわけじゃないから、そこんとこは勘違いするなよ」
 連絡先要求しといてそれかよ的なツッコミは俺の頭の中だけに留めておいた。
「会長がお前に飽きるまでの緊急措置だ」
「……あー、そう」
「ないと思ってるなら、覚悟しておいた方がいい。馬鹿を見るのはお前だ」
「………………」
 何か、どう切り返せばいいのか分からなくなって、俺はとりあえず沈黙を選んだ。

「まあ、いい機会だよね。少しは仲良くなってみるのも有りかな」
「え?」
「僕、近付きたくなるんだよね」
「…………」
「嫌いな奴見ると」
「………………って?」
「近付けば、弱点も弱みも知れる。楽しいのに、大多数の人間が嫌いな相手を避けるのは不思議だよね」
「…………」
 あー、やべえ。

「弱みなんか、ねえよ」
 正当な理由に油断したけど、コイツの本当の目的はそっちだったんじゃないだろうか。
「ない人間も珍しいな。あはは」
 笑顔がとことん冷たく見える。
「じゃあ。何か用事があったら連絡するよ。君も僕のことは嫌いだろうけど、会長の為の措置なんだから、無視とかはしないでちゃんと返してね」
「………………あぁ」
 低い声で、そう呟くのが精一杯だった。
 こういう時、返せる嫌味のひとつも言えたらいいのに、俺はストレートに悪態は突けても、ひねりを効かせた嫌味は苦手だったりする。

「じゃあまた。学校で」
 登校途中で事故にでも遭ってしまえ的な呪いが込められていそうな冷たい声だった。
 篠原はそれっきり一度も振り返るような素振りは見せずすたすたと去っていった。

「……………………」
 高嶺と付き合うことになって余裕もなくドキドキしてる心の準備だとか、光にボーカルをやれと迫ってる三年の四人組の撃退法の相談だとか、どうやら事故の時に何かあったらしくてそれを調べなきゃだとか、色々問題は山積みなのに。
 ここに至ってこんなややこしそうなのが。

 いやましで。中間テストとか、俺が転校してくる直前に終わってて良かった。
 それどころじゃないもんな。