61<恋愛論>

「……そういえば、光とかって、小野寺のこと、でらちゃんって呼んでんのな」
 教室を出てしばらく歩いているうちに、そんな話題を思いついた俺は唐突に尋ねてみた。
「……あぁ、そう。うん、呼ばれてる」
「いや、なんかあだ名的な呼び方してんのあんま聞かないからさ。珍しくて」
 ついこの前、光と要に、下の名前で呼んでいいかと迫られたときのやりとりを思い出す。
 この学校の生徒は大抵、家を背負ってるから、家同士の付き合いって点も含めて、大概は名字で呼び合うらしい。
 その名字を崩したあだ名や下の名前を呼んだりすることは、一種、仲の良さを判断する基準にもなってるとか。

「オノデラ……って長ったらしいから、適当に呼びやすく呼んでいいって言ったんだ。安達、ちょっと舌っ足らずになりかけることあるだろ? 呼びにくそうにしてたから」
「…………あ、そういう理由」
「ん?」
「いや、仲いいのかなと」
「……仲は普通だ。……いやでも、それ以来妙に懐かれてる気は、するかな」
「………………」
 光の事だから、あだ名で呼んでいいなんて言われて、感極まったに違いない。

「それが?」
「いや、何でもない……」
「そうか」
 それ以降、小野寺は黙って黙々と歩いて行く。
 俺は何となく、タイミングをふと見つけてしまった。
「いちごミルク」
 ぴく、と小野寺が反応したのが隣から伝わってくる。
「ありがとうな、この前」
「……いや」
 何となく、照れているように感じた。
 可愛いやつだなー、小野寺。

「い、妹が……、ユーカのことばっか言ってて。それで、さ」
「あぁ、小野寺妹いるんだっけ? いいなあ。俺、姉ちゃんと双子の夕香はいたけど、妹はいなかったからさあ。憧れるんだよなあ」
「……あー、そっか。佐倉って末っ子か」
「うんそう。……な、な、妹って可愛い? なんて呼ばれてんの?」
「……、お兄ちゃん、だなぁ」
「うわっ! くる! それイイ! お兄ちゃん!」
 あぁ駄目だ、興奮してくる。

「佐倉……、なんか危ない奴になってるよ」
「いいんだよ! 姉ちゃんたちに散々我がまま放題されて育ったんだから! もしかしたらいたかも知れない妹に妄想膨らませたって!」
「……あー、うん、妄想ね」
 どうでも良さげな感じがもろ分かりだけど、俺はそんなの気にしない。
「母さんも5人目頑張ってくれりゃー良かったのになー」
 あ、でもその前に父さんがダウンしたんだ。
 えっとつまり、病気になった。
 そして俺と夕香の記憶には一切残らないくらいあっという間に死んでしまったらしい。

「……5人目って、今時そんな大家族珍しくない?」
「あはは、多いにこしたことないって。あ、小野寺は? 上は? いないの? 妹と二人?」
「うん、俺が一番上」
「そーかぁ。小野寺は兄貴かあ。いやー、俺も一人くらいは兄ちゃんでも良かったよなーって思うよ。俺一人男だったしな」
「……にしては、言葉遣い普通?」
「あ、それ、実は結構意識して頑張った。女々しいって思われるの嫌で」
「はは、頑張りすぎた?」
「どーせ口悪いよ」
「あはは」

 なんか、普通に喋れてる。
 実は、ちょっと不安だったりはしたんだ。
 高嶺が校内放送でとんでもないこと言い出して、周りの反応も変わって、それで小野寺が俺のことをどう思い始めたのか。
 でも、小野寺はいちごミルクをくれた時の小野寺のままで、俺は正直ほっとした。
 もらったいちごミルクは昨日の夜飲んだ。

「なぁ、小野寺ってさ、彼女いる?」
「え?」
「あ、……いやあの、まぁ……か、彼女じゃなくてもいいんだけどさ……。 この学校じゃもう、なんか寧ろ、男女が普通って考えの方が偏見なんじゃないかって気にもなってくるし……。つまり、付き合ってる奴、いたりする?」
 なんか、思いつきに近い感じで何気なく訊いてしまったせいで言葉がまとまってないぞ。
「……別に、今はいないけど」
「そ、そうか」
「俺は彼女しかできたことはないよ。それは言っとく」
「そ、そっか!」
 なんか俺は、嬉しくなった。

「それがどうか?」
 小野寺は不思議そうに首を傾けて訊いてくる。
「あー、いや、何かさー。普通の恋愛って、どんなんだったっけなーって何となく思ってさ」
 光と要に訊くのはさすがに野暮すぎる。
 自分たちの恋愛模様を話せって言ってるようなもんだし。
「何かあった?」
「……いや別に何もないけど」
「例の会長の放送?」
「………………」
 その通りだけども。

「……彼女、いたんだ、俺も。事故に遭うまでは。……でも事故のせいで自然消滅みたいな。それから、なんか、ぱったり恋愛沙汰から遠ざかってたし」
「会長のこと意識してるのか?」
「えっ、いや!」
「昨日教室ですごい怒鳴り返してたのに」
「いやまあ、それは置いといて!」
 俺は必死になって、俺と小野寺の間の空気を脇へ置いておく動作をした。
「ま、まじでさ、俺……、なんかよく考えると……、恋愛事、全部姉ちゃんたちに教えてもらってたような気が……すんだよな。それってちょっとヤバイだろ?」
「へえ」
「素直に驚くなよっ、切実なんだって! もしかしたら俺っ、姉ちゃんたちに洗脳されて、すっげえ乙女の理想みたいな恋愛像を植えつけられてるかもしれないだろ!? 小学生ん時、お付き合いはいくつになっても、まず交換日記からなんて騙されそうになったことあるし!」
「……くっ」
 そこでいきなり、小野寺が吹き出した。

「え?」
「こここ、交換日記……っ」
 初めて見る、小野寺が震えながら笑ってるとこ。
「……ふひひ、面白すぎる……っ」
 お、面白いのは小野寺の笑い方だと思うけど。
「手……っ、手は、……いつ繋ぐの?」
「……えー、い、一週間以内には」
「うははっ! 遅っ、あはは!」
 とうとう小野寺は腹を抱えて笑い出した。
「あははははっ、さ、佐倉っ、何その、初めて付き合う女子中学生みたいな!」
「…………」
 どうやら俺の懸念は当たっていたらしい。

 高嶺に恋愛の仕方を教えると宣言して。
 自分の部屋に帰った俺はさてどうしたもんかと考えたんだ。
 そんでその恋愛の仕方が全部、ほとんど、姉ちゃんたちからのアドバイスに基づいてることに気付いたわけだ。
 つまり、女の子側から彼氏に対して望む事、つまり乙女の理想が多分に含まれているわけで。
 男同士の恋愛に適用されてしかるべきものなのか判断つかなくなった俺は、とりあえず誰か、女じゃない奴からの恋愛論を聞いてみようと思ったんだ。
 幸い男子校ゆえに、女じゃない奴はいっぱいいる。
 だがしかし、問題はもっと深刻だったらしい。

 乙女の理想の恋愛を通り越して、初めてできた彼氏と付き合う中学生ときたもんだ。乙女どころか、ガキの恋愛ってことじゃねぇか……。
「手、手くらいその日に繋いでいいって! むしろ行けるならキスとか……っ、どんだけ奥手……っ、男なら押し倒す想像で頭いっぱいだよマジで……」
「………………」
 む、無言にならざるを得ない……。
「お、押し倒す想像までするもんなのか……」
「いやまあ、人によるだろうけど……っ、ふくく、……男なんて笑顔の裏で妄想ばっかだよ……、ぁはは、……え、笑顔で話しながら、次はどんなプレイ試そうか……ふは、考えてるくらいが普通じゃない……?」
「プっ」
 プレイ!?

「うっはっは! 佐倉っ、何その顔……っ! 驚いてるし! 普通だって!」
「……お、俺プレイとか別に要らないし……」
「うはは、佐倉、奥手すぎる……っ」
 ひーひー言いながら小野寺は目に浮かんだ涙をぐいっと拭いた。
「……見えない。見えないよ佐倉。……そんな純情だったなんて」
「………………」
「いや可愛いな……、そのまんまでいて、マジで。会長もそれに惚れたんかもよ」
「そんなとこは惚れられてねえよ」
 とりあえず否定できるとこがそれしかなかったからそこだけ否定する。
「……分かった、小野寺。俺、考え改める」
「ええっ、いいってそのままでー」

 面白がってるだけだろう小野寺に断固抵抗して、俺は変わることを表明し続けた。