63<スイッチ>

 一瞬ふと頭を掠めたのは、今朝方送った篠原へのメールの返信。
 昼休みになった段階で返信がなかったから無視するつもりなんだろうとは思っていただけに、確実にそれだとも思い切れなかったけれど。
「…………」
 もしかしたら、光か要が大丈夫かって様子見のメールを送ってきたのかもしれないし。
「………………」
「気なんか使わなくていいから、気になるなら見ろよ」
「え、あ」
 高嶺に離しかけられて、自分が今無言になっていたことに気付く。

「俺だって飯の最中でも出なきゃなんない連絡来ることはあるし」
「……あー」
「ってか、外で食事とかじゃないんだし、ただの飯でそこまで気ぃ使わなくていいぞ」
「……、はは、これ、ただの飯って感じじゃねぇけど」
 こ洒落たテーブルセットにどこぞの外国帰りのシェフが作った絶品ハンバーグランチに隣でふわふわ揺れてる白いカーテン。
 姉ちゃんたちなら乙女モード発動してうっとりするだろう。
 男の俺がこんな風にしてもらうのは、もったいないなと思う。

「じゃ、見るだけ。サンキュ」
 別に気を使って食事中は携帯見ないとか考えてたわけじゃなかったけど、高嶺が良いと言うならと思って俺はポケットから携帯を取り出して画面を開いた。
「…………お」
 メッセージは予想していなかった、五十嵐からだった。
「ん?」
 俺の反応に気付いたのか、高嶺がどうした? と目で尋ねてくる。
「いやー」
 とりあえず応えながら中身を開いた。
 ――お前の傷のこと丸ちゃんに聞いてみたら、ちょっと複雑な事故だったらしいとか言いやがんだぜ。ぜってー何か隠してっぽいからもうちょい探ってみる。

「………………」
「何かあったか?」
「いや……五十嵐から……」
「五十嵐?」
 ふと高嶺の声音に不満の色が入ったのに気付いて、俺は顔をあげた。
「いや、ほら。五十嵐も俺の傷跡が交通事故にしては変だって言ってたって話しただろ? それで丸山先生と仲良いから、それとなく探りいれてやるっつってて……」
「……ふーん」
 なんだその不自然なふーんは!
「そ、それで、はぐらかされたっぽい報告が……」
「………………」
「な、何だよ」

「まあ、俺が凄んでも、全部を話したわけじゃなかったみたいだからな」
「え?」
「五十嵐の野郎が丸山先生とどこまで仲良いのかなんて知ったこっちゃねぇけど、ま、大したことは聞き出せねえんじゃねぇの」
 なんかちょっと口悪くなってるし。
 俺の事を好きだ好きだと言ってくる前の、でかい態度の時の口調に近い。
「………………、お前、丸山先生に凄んだって何」
「そのまんまだよ。お前がどういう状態なのか詳しく話せって怖い顔しながら迫っただけだ」
「……怖い顔」
 あの人の良さそうだった丸山先生のことだから、相当びびったんじゃないだろうか。
「俺、今度謝っとく……」
「なんでお前が謝んだよ」
 高嶺は不機嫌そうに呟いてハンバーグの最後の一切れを口にし、水でぐいっと奥に流し込んだ。
 最後の一口そんな一気に食べて勿体ねぇ……。

「っつうかお前な。何があったかは知らねぇけど、人前でほいほい裸になるな」
「あ、あぁ、分かってるよ。普通びびるもんな。だから体育の着替えも保健室で……」
「違う。傷跡を見せるなとかそういうこと言ってんじゃねえ。傷跡があってもなくても、お前は人前で裸になるな」
「………………」

 ふと、飯をフォークに乗せた手が止まる。
「……なぁなぁなぁ、それって独占欲?」
「恋人の裸を他人に見られて楽しい奴があるか」
「あっはっは、女でもねぇのに、一体何に気を回して、けほっ」
 やべえ。高嶺が俺なんかの裸を人に見せまいとしてるなんて可笑しすぎて笑ったら飯が変なとこに入りかけた。
 慌てて水を飲んで、一息つく。
 そしたら高嶺が無言で俺をじっと見ていた。

「俺の愛がそんなに足りないか」
「え、何の話?」
「足りないから俺の愛が良く分かってないんだな?」
「え、え、え、だから何の話?」
「好きな奴の裸を見せたくねえって思うのに男も女も関係ないだろうが」
「まぁ、気には留めとく」
「留めとく? 何言ってんだお前。俺のこの切実な気持ちを留めとくで終わらせる気か? いっそ刻み込め」
「はぁ?」
 なんか物言いが無茶になってきた高嶺の意味が分からない。

「いやいや、でも、現実問題、男は根本的に上半身隠すって意識ないだろ。俺だって傷あるからちょっとは意識してるけど、とっさになったら、まぁいっかってなるだろうし」
「まぁいっかじゃねえ」
「いやいや、見られて恥ずかしいって意識がないのに、人間そう簡単にとっさに隠そうとしないもんだぞ? 女じゃあるまいし、どうしても傷跡見られたくないわけじゃねえもん俺」
 ここで説得しとかないと、万が一そういう事態になった時高嶺を激怒させそうで怖い気がする。
 だが。
「ほっほーお。見られて恥ずかしいもんがあれば隠すってわけだな?」
「………………」

 がたん、と立ち上がった高嶺の顔を、俺は呆然としたまま見上げた。
「……おまえ、……ちょ、待て……、なんだその、急なエロスイッチの入り方……」
「俺の濃厚な愛のしるしがありゃ、真面目に隠す気にもなるんだろうが」
「ちょちょちょちょ」
 俺も一歩遅れて立ち上がる。けどものの見事に手遅れで、あっさりと高嶺に腕を掴まれた。
「わーっ、ちょっと待てっ! お前の跡ならまだ残ってる! おとといの朝のが!」
「んなのもうすぐ消えんだろうが。新しいのクッキリ付けといてやる」
「うわ話通じねえっ」

 ぐぎぎぎと高嶺の腕を押し留めようと奮戦する。
 一応きっちりネクタイをした胸元なので、抵抗さえ諦めなければそう簡単にくつろげられることはないはずだ!
 力自体は高嶺の方が強いせいで壁際まで後退を余儀なくされるが、キスマークの攻防に関してはこう着状態になりつつあった。
「た、かみね、てめぇえ……」
「どうせ付いてんなら一つや二つ増えたって一緒だろーがっ」
「何の理屈だっ」
「お前が俺の話を話半分にしようとするから……っ」
 そこでふと高嶺と目が合う。

「…………」
「…………」
 あ。と思った時には、込めていた力が、互いの手から抜けていて。
「………………」
 勝手に、首が少し傾いて。
 唇が、自然に重なった。
「…………ん」
 声が漏れたのは、俺の方だ。

「………………」
 なんか、こんなに差があるのは悔しいと思う。
 付き合うようになったんだし、高嶺の一方的な気持ちってわけじゃないはずなのに、キスの主導権ってやっぱ高嶺があっさり持っていく。
「ん、ぅ」
 鼻に抜けそうな声が出そうになって、慌てそうになり、あぁここは今二人きりなんだと思い出した。

 高嶺が優しく肩を押してくる。
 背中を壁に預ける感じに床に座り込んだ。
「……夏樹」
「ん……」
 そういえば、いつのまにか名前で呼ばれてるなぁなんて考える。
 耳から何かがぞくぞく入ってきて、思わず目を閉じた。