70<夢>

 悲鳴が、聞こえる。
 聞いたことない、耳を塞ぎたくなる声。
「…………っ」
 何とかしようにも、自分は一人で無力でただの子供で。
 でもそれが分からなかったから何とかしようとしたんだ、最初は。
 でも、何にもできなかった。  結局、耳を塞ぐしかなかった。
「…………ぁ」
 そしたら。
 いつの間にか、動かなくなって。
「……ごめ」

 目が。目が見てて。
 それが何だったのか考えるのも嫌で、もう間違えちゃいけないと思って。
 ……最初はいいと思ってたんだよ。
 全然耐えられるって。
 でもなんか。もうおかしくなって。
 想像を超えてて、すごい怖くて、もう選ばされるのも限界だってとっくに思ってたけど。
 でも、間違えたくなかったから。

 そしたら。
 誰だったか。
 ……もう、選ばなくていい、って。

 …………ころした、……って。


「……ぁー」
 自分の声で、目が覚めた。
「………………」
 心臓が、すごい速さで脈打ってる。
「…………なん、だ」
 気持ち悪い。
 汗が、全身に……気持ち悪い。
「え……っと」
 暗い。
 ここは、リビングの、ソファの上?
 いま、何の夢を見てたんだ?

「……だる」
 相当に、だるい。
「………………」
 このままもう一度眠りたかったけど、それにしたってこの体勢じゃ全然寝られ……あれ?
「あ」
 そうだ、思い出した。
 さっきまで綾瀬が……。
「ど……、どうなって……、おい、……おーい」
 返事はない。気配もない。
「……くそ、まじ……ちょ、帰ったのか……?」
 部屋の中はシンとしていて、薄暗い。
「……っ、ほ、ほどいてけよ……」

 俺は腕を後ろでぐるぐる縛られたままソファに顔を突っ伏した。

「……また、これ……記憶、……とんでるのか……?」
 寝たのか、意識を失ったのか、それさえ分からない。
 高嶺の前でフラッシュバックを起こした時は何となく途切れずに記憶はあったけど、宮野先輩が来たらしい時のこととかは覚えてないし。
「……ってか、おれ……すげぇ醜態さらしたんじゃ……」
 悲鳴とか上げて泣き叫んでたらどうしよう。
「………………」
 なんで俺、ちょっとリンチされそうになったくらいで、こんな恥ずかしいことになるかな。
「服は……着てるし」
 どうやら綾瀬が言うところの親衛隊の報復の再現はされてないらしい。
 左の頬以外に痛むところはない。
「なんで途中放棄してくれたんだ……?」
 俺が気を失ったりとかして詰まらなくなったとか?
 いや、それくらいなら叩き起こしてでも続きをしそうな気がする。あの綾瀬の勢いは。

「……なんかあったんだろな」
 暴行する気満々だった気持ちが殺がれる様な、何かが。
 過呼吸でも起こしたのを変なやばい病気かとか思って逃げ出してくれたならまだいいけど、情けない悲鳴とか上げてたら嫌すぎる。
「……っとー」
 何があったのか思い出そうと意識を集中してみる。
 とたん、急に心臓がドクンと打った。
 ……駄目だ、考えたく、ない。

「……ど、すん……だよ」
 前向きに、前向きにとりあえず腕を何とかしないとと思って体を起こす。
 その作業だけで、腕がかなりキツく結ばれてることが分かる。これ、切るしかなくないか?
「代えのネクタイなんてねえんだけど……」
 シャツは2枚あるけど、さすがにネクタイは一本しか持ってない。
「ってか、ハサミ……」
 転校してきて1週間とちょっと。
 使う用事がなかったから、まだ文具系はダンボールの中だ。
「…………」
 どこにしまい込んでるのか、ちょっと記憶にない。
 まだ開けてないダンボールだったら超嫌だ。
 というか、玉置ってやつ、結局一回もしゃべってなかった気がするけど、俺のこと凄ぇ恨んでるんだろうな……。
 かなりキツくしばってくれたらしく、指先が痺れてるみたいだ。

 ぐらつきそうになる足で薄闇の中を放置してあるダンボールへ向かう。
 まだ薬が切れてないのかもしれない。
 だからだるいんだろう。
「……あぁ、まじ、油断大敵ってこのことな」
 いい奴そうに見えたんだ。
 俺が紅茶飲んだとたん、態度が変わった。口調まで変わって。
 最初の感じも、変わってからの感じも、演技してるようには見えなかった。
 使い分け慣れてるって気がする。
 人の裏表って、あんな感じなんだろうか。

「つかー、無理……」
 痺れている指先でダンボールの中をかき混ぜてはみたものの、薄暗い上に後ろ向きで中見ながらは探せないし、どうやらまだ未開封の箱の中の可能性も出てきたし、そもそも指があんまり動かないのにハサミを逆手に持ってネクタイの生地切るとか出来んのかって話だ。
 生地用の裁ちばさみならともかく、普通の文具用ハサミだし。無理な気がする……。
「あ、携帯」
 ズボンのポケットに入れっぱなしなのは、体をひねれば後ろ手でも取れた。
「…………いける」
 同じくちょっと体をひねれば、画面を見ながら操作はできる。
 画面をトントンタッチするだけなのだから、力がいらない分、だいぶ楽だ。

「……って、ちょっと待て」
 ふと思った。
「あぁああ……」
 俺! 結局高嶺と連絡先交換すんの忘れてるぞ……!
「ちょちょちょちょ」
 いや、ってか、真っ先に思い浮かんだのが高嶺ってのも恥ずかしすぎるし俺……!
「あっ、ちょっと待っ、光と要っ! あ、いやちょっと待て……」
 こんな状態の俺を見たら、たぶん光は卒倒する。
 泣かれそうな予感さえする。
 かといって要だけに来てもらうっていう方法が思いつかない。セットで動くのが二人の基本だしな……。
 ただでさえかなり心配されてるのに、あの三年のしつこい勧誘で大変な時にこれ以上心配かけるわけにはいかないだろう……。

「他にアドレス……」
 ……いた。
 二人。
 篠原は論外だとして、五十嵐は全てにおいて問題ない気がする。
 おそらく、こんな状態の俺を見ても笑い飛ばしてくれるだろう。
 運が悪かったな程度で済ましてくれるかもしれない。
「役に立つじゃねえか五十嵐……」
 ――ごめん、出張たのむ 439号室
 痺れてる指で長々とした文を打つ気力はない。
 でも五十嵐ならこの文面だけで何かあったなくらいは分かるだろうし、急ぎはしなくても、ふらっと立ち寄ってくれるだけで十分だ。そしたら説明すればいい。
 時間なら余る程ある。最悪、明日の朝、登校時間までは猶予があるわけだし。
 いやできるなら日付が変わる前には外れてほしいけど。
 一応、体勢的には苦しいから安眠は期待できないし。

「……あぁ、もう誰も……知らない奴は部屋に上げん」
 ついでに飲み物も飲まない。
 光の言う俺の立場ってのの微妙さを、今やっと実感した気がするぞ。
 よろよろとソファに戻ってごろんと横になった。
「はらへった……」
 時間に余裕はあっても、腹に余裕はないんですが。
 これが外れないことには食べるどころか水も飲めない。
「あーもー何だよ超なさけねぇえ……」
 泣きたくなってきた。散々過ぎて。
 明日の朝になって、俺の噂に変なもんが一つ増えてたらどうしよう。
 リンチに遭って情けない悲鳴を上げる痛い奴だとか、そんなの、広まってたら消えてしまいたい。

 あぁ、そういえば、顔も見られたんだった。
 誰かに似てるとか言ってなかったからユーカのことは知らないんだろうけど、意図的に顔隠してたってことを広められたら、見ようとする奴は増えるだろう。その中にはユーカを知ってる奴もいるだろう。
 基本ユーカは女の子のファンが多かったけど、小野寺だって妹の影響とかで知ってたんだし、誰が知っててもおかしくはない。
 別にユーカを知らない奴には顔なんていくらでも見られて構わないんだ。けど、引退したユーカの双子がこの学校にいるってマスコミに流すような奴にはたったの一人でも見られるわけにはいかない。
 これはそういう問題だ。