80<証明>

 弁当を食い終わって。
 やることがないからとりあえず風呂に入って出されてた宿題を片付けて、なんとなくパソコンを立ち上げて曲をいじってた時。
 玄関のチャイムが鳴った。
「………………」
 時計を見ると、もう10時だ。
 消灯まであと1時間のこんな時間に、誰が何の用で俺の部屋に?
「………………」
 どうしようか考えあぐねていると、今度は2回チャイムが鳴った。
「……っあー、誰ですかー?」
 無視しようかとも思ったけど、光たちでないとも限らない。
 この前も急に突撃訪問してきたもんな。

 声をかけながら玄関に行くと、少しの沈黙があった。
 チャイムも返事もない奇妙な間。
「……あのー、どちら様?」
 この前の、綾瀬たちのこともある。知らない奴だったら適当に理由つけて追い返そうと思っていた矢先だった。
「……夏樹」
 聞き覚えのある小さな声がドアの向こうから聞こえてきて、俺はとっさに動いていた。

「…………高嶺」
 ドアを開けた向こうに、高嶺がいた。
「………………」
「ど、どうしたんだ……って、あ、お前」
「入ってもいいか?」
 俺が言いかけた言葉を遮って、高嶺は尋ねてくる。
 白いシャツとジャージっていうラフな格好の高嶺は、いつになく沈んだ様子でただ立っている。
「……全然、いいよ」
 俺は高嶺の腕を掴んで中に入るよう引っ張った。

 玄関のドアを閉め、高嶺を振り返る。
「……た、高嶺、お前その顔、どうし……わ」
 急に抱きしめられて、俺は言葉を途中で切った。
 高嶺は左頬を赤くして、唇も切っているみたいだった。
「とと、とりあえず、ここ玄関だしっ、中っ、飲み物入れるから。ミルクティ飲むか? 水のがいい?」
「……水、くれ」
「わ、分かった、水な」

 答えて高嶺の腕からそっと抜け出すと、俺はそのまま高嶺の腕を引いてリビングに向かった。
 高嶺はずっと無言で、俺が促すままにソファに座ってじっとしている。
 もろに、何かあったのが丸分かりだ。調子狂って、おろおろするしかねえじゃねえか……。
「ほ、ほら、水……」
 グラスに注いだミネラルウォーターを差し出すと、高嶺はふっと顔を上げた。
「っちょ」
 何を思ったのか、高嶺は俺の手ごとグラスを掴み、飲み始める。
「わ、わ」
 水が滴って、俺の手と高嶺の口元に水が伝った。

「ななな、何す……高嶺」
 水を飲み干した高嶺は俺の手からグラスを奪い、それをテーブルに置く。
 そんで目が合って、俺は、気が付いたら高嶺を抱きしめていた。
「……高嶺、ごめんな」
「…………なんで」
 思わず口から漏れた謝罪の言葉の理由を尋ねられても、そんなの答えは一つしかなかった。
「……宮野先輩と、何かあったんだろ」
 それしか考えられなかった。

「お前、俺のお嫁さんになってくんない?」
「……旦那ならイイけど」
「ははは。お前、俺が嫁に欲しいのか?」
「…………あんまり想像したくないな」
「ひでえ」
 いつもなら半ば叫ぶようにして言う軽口も、今は全然覇気がない。

「一応……話し合いってやつをさ……、してきた」
「……うん」
「とりあえず、お前を泣かしたってことで、お互いに一発ずつ……。これは、それな」
 高嶺は自分の頬を指差したみたいだった。
「……何してんだよ。俺別に、泣かされたんじゃなくて勝手に泣けてきたんだよ。涙腺おかしくなっててさ。……それに、もし泣かされたんだとしても、だからって、殴られろなんて思ってねえよ……。お前にも、先輩にも」
「それでも、ケジメつけるもんなんだよ、こういうのは」
「馬鹿だなぁ」
「馬鹿だよ。お前も男なら分かんだろ。……男ってのは、こういう生き物なんだ」
「…………」
 俺は無言で高嶺の頭を撫でた。
 撫でたくなったんだ。

「どうせ自己満足だよ。お前が心配すんのも、殴りあったのが自分のせいじゃないかって気にすんのも、分かってた。でもお互いに、やんなきゃ気が済まなかったんだ」
「……いっそ感心するよ。ホント」
 なんとなく高嶺がそういう奴だってのは想像が付く。出逢って間もないとはいえ、あの校内放送を流してきた時点で自己満足男なのは分かってた。
 でも、ちゃんとそのフォローは全力でしようとするしな。
「お前……馬鹿。俺よりお前の方が、傷付いてんじゃねえの……?」
「…………言ったんだ」
 高嶺は、そっと、力強く、俺の背中に腕を回してきた。

「……俺も、お前に遠慮とか、しねえから……、同じくらい好きっつうなら、お前もするなって……。手に入れたいなら、夏樹を泣かさない自信があるなら……俺からとれるか、やってみればいいって……。……ごめん。……お前困るの分かってて、言った……」
「…………謝んなよ」
 高嶺の額に頬を寄せて、言葉より何かもっと多く伝わればいいのにと思う。
「でも、全然、俺……お前を手放す気なんてないんだ……。彰がいくら想っても、頑張っても、もしお前が俺より彰選ぶようなことになっても……、俺はお前泣かしてでも手放したくないって……、思ったんだ」
「……そうか」
 簡単な相槌しか打てなくて、すごいもどかしい。

「口で綺麗事言うのは簡単だよな……。あいつ、分かったって言った。……言ったけど、あいつ……もう絶対、決めてるよ。……お前を諦めようと、気持ち消す方頑張るつもりだ。そういう顔だった、そういう奴なんだ、あいつ……」
「………………」
「お前の為に……、お前を困らせないように、悩ませないように、泣かせないように……、あいつは自分の気持ち殺すんだ。お前の為に」
「高嶺」
「じゃあ俺は……、お前を泣かしても、傷付けても、手放したくねえとか思った俺は、俺は……、お前の為に動けないってことだ。あいつはそう出来るのに、出来ない俺が、お前の傍にいて……、それ、変じゃないかって、思ったんだ……」
「……高嶺」
 あぁ、俺はこういう時、どう言ってやればいいんだろう。
 抱きしめるしかできないって、なんて役立たずなんだ。

「でも、もう無理なんだ。いくら変だと思っても、彰の方が相応しいんじゃないかと思っても、俺はもう、お前がどっか行くなんて、考えられないんだよ……。想像するだけで気持ち悪くなる……」
「……たかみね」
 背中にまわされた高嶺の腕は、切ない程力強い。
「高嶺、……なあ、俺……、お前が好きだ……」
 高嶺の体がぴくりと反応したのが分かった。
 面と向かってこんな深刻にアイ・ラブ・ユーと伝えたのは、初めてかもしれない。昨日の昼休みにそれっぽいことは言った気がするけど。
「俺は、お前が好きだ」
 好きかもとかじゃない。お前と恋愛するとか、好きになる勢いが凄いなとか、そんな捻りのある言葉じゃない。
 自分はあなたが好きです。
 ストレートにそういう意味だ。

「だから、それが全部だよ。それが、お前が俺の傍にいていい理由の全部だ。……なんか偉そうだな。……えっと、俺がお前に傍にいてほしい理由だよ」
「…………」
「泣かせるかもしれないとか傷付けるかもしれないとか、んなことが理由の妨げになるわけねぇし。……いっぺん俺のこと泣かせてみたら? 泣き止んだら絶対、お前のことまた好きだって言うぜ」
「……夏樹」
「お、ちょっと元気なった?」
 返ってきた高嶺の言葉が少し浮上してきてる感じがして、俺は高嶺の顔を覗き込む。
「……うっわ。すげー赤い顔」
「お……ま、……なんつー、殺し文句……」
 高嶺は目が潤むほど真っ赤な顔をして眉間にしわを寄せていた。

「お前……ほんと……、俺をどこまで落とせば気が済むんだ……」
「ん? お前が俺を落としたんだろ?」
「それ以前に俺が落とされてんだよ」
「まじ? 俺って凄ぇな」
「凄すぎなんだよ……、どうしてくれる」
 ふわ、っと体が浮いた気がした。
「ぅ……わ」
 どさっと音がして、高嶺の顔越しに天井が見えた。
「………………」
 うーん。泣かせてみろと言ったのは俺だしな。
 この場合、因果応報ってやつか?

「嫌がらないのか?」
「……お前が元気になるなら試していいよ」
「恥ずかしいって大騒ぎしないのか?」
「してもいいなら、するけど」
「なんか余裕だな」
「そうでもねぇよ。心臓ばくばくしてるし」
「…………」
 高嶺は無言で俺の左胸に手のひらを当ててきた。
「……な?」
「愛しすぎて死にそうだ」
「俺も死にそう」
 発作を起こせとばかりに打ちまくる心臓のせいで、体に力が入らない。緊張のせいで体が震えそうになるのを止めるのに必死だ。

「抱いたら、お前泣くのか?」
「……分かんねぇ」
 なんか、声が震える一歩手前な気がする。
「はは、この前マジ泣きしといて説得力ないかもだけど……」
「抱いて泣かれるってのも、困るんだけどな」
「いやだから、泣くか分かんないやり方じゃ意味ないから、普通じゃなくていいからな?」
 俺は高嶺の赤くなってる左頬に触れた。

「……え?」
「だから、普通に抱くなら、むしろ抱くな。いや別にいいけど、でも今お前に必要なのは証明だろ?」
「何が言いたいんだよ」
「お前不安なんだろ? 今だってそんな顔してさ。俺は泣かされたって傷付けられたって、そんなの平気だ。お前になら。お前が好きだって言ってくれるなら」
「…………」
「それを証明したい。だから俺を泣かせ。普通じゃなくていい。めちゃくちゃに抱けよ。俺が本気で泣くまで」
「………………」
「そんで、その後優しくしてくれ。そしたら俺、もっかい好きだっつってお前を安心させてやるから」
「……………………」
 高嶺は無言で、一度瞬きをした。

「大丈夫。絶対言うから」