90<換気扇>

 終礼が終わって放課後になって、俺たちは例のごとくすぐに学校を後にした。
 その間、郷田たちとのメールに関する話題は一切出ず、というかむしろ要がその話をまるっきり振ってこないので、話は部屋で聞くというのがこの後実行されるのかと思うと、俺は三人で下校なんて正直勘弁してくれというところだった。
 1階の階段のところで別れてから妙に脱力したのはいたたまれない中に放り込まれた緊張のせいだって絶対!

「……俺のせいか? 俺のせいなのか?」
 部屋に帰って鞄をソファに放り出すと、次の行動が思いつかなくて独り言が口をついて出てくる。
 たぶん間違いなく俺のせいで、光はなんか今頃えらい目を見てるような気がする……。
 けど、二人の中に割って入って仲裁とかする余地が既に全然ない場合は俺はどうすればいいんだ?
 仲裁というのも違う気がするけど……。喧嘩とか言うんじゃないっぽいし……。

「次なんかあったら話つけるしかねえな……」
 俺のせいで光が何度も要にお仕置きされるようになったらとか、考えるだけで消えてしまいたくなる。
「あー……うーん……」
 今から二人の部屋に行って、光の情状酌量をお願いするのもなんか違う気がするし……。
「…………」
 うん、絶対違う。それは間違いない。
 明日光を精一杯労ろう。それしか思い付かねぇ。
 あと、今度郷田たち関係でなんかあったら、最終手段実行決定だ。これ以上甘えてたらもっとヤバそうだし。

「あ、やべ忘れてた」
 光たちのことに結論を付けると、今度はふと、まだ返信していない連絡の存在を思い出した。
「返してねーや」
 高嶺の心配メッセージ。あと、篠原の情報催促。
 ポケットから携帯を出し、メッセージアプリを呼び出して返信画面を開く。
「……えー、と。だー、い、じょーうー、ぶ、っと」
 なんか高嶺へのメッセージってのが面白くなって最後にシンプルな顔文字とか入れてみる。
 女の子相手だと気を使って絵文字とか適当にぶち込んでたけど、高嶺は男だし、メッセージなんて面白半分で十分だ。
 それに高嶺なんてたった6文字だったしな。

「短かすぎたか……?」
 送ってから、顔文字のぞくと3文字じゃねえかと気付いたけど、色々ともう遅い。
「まいっか」
 メールを打ちながら洗面所に向かっていた俺は、とりあえず手を洗おうと携帯を洗面棚に置き、蛇口をひねる。
 で、あることに気がついた。

「……?」
 何かが聞こえる。
「…………鼻歌?」
 どっからだ? 周囲を見回して、それが開けっ放しの風呂場から聞こえていることに気が付いた。
「……なんだ、換気扇か」
 どうやら隣同士はダクトが繋がっているらしい。
 適当に歌ってるらしい鼻歌がそこを伝って聞こえてるみたいだ。
「…………ん?」

 ……て、あれ?
「…………」
 なんかそれ、……なんかそれ、スルーしちゃ駄目じゃないか?
「………………ちょ」
 おいおいおい!
「ちょっ、隣っ、あ!? 五十嵐っ!?」
 よよよよ、よりにもよって!!
「ありえないっ! 無理だありえないっ!!」
 いてもたってもいられなくて、一縷の望みを賭けて俺はその場を走り出していた。

「五十嵐っ! おい! 開けろ! 話があるっ、て開いてるし! 入るぞ!」
 隣の部屋のドアを叩いて、取っ手が回って開いたのをいいことに、問答無用で上がりこむ。
 相手は五十嵐だし、別にいいかという気がしたのも確かだ。
「五十嵐っ! おい! ちょっと聞きたいことがっ」
 さっきの鼻歌が案の定風呂場から聞こえてきて、俺はバっタンと風呂場のドアを開けた。
「うおあっ! んだオメぇっ、いきなり!?」
 なんでこの時間からなのか知らないけど湯船に浸かっていた五十嵐が間抜けな声を上げて振り返ってきた。
「てめっ、何勝手に入ってきやがっ」
「悪い! 謝る! なあっ、金曜の夜お前何時くらいに寝た!?」
「はア!?」

 俺の話は突拍子もなかったらしく、五十嵐は見事に首をひねって聞き返してきた。
「んだぁ? 何の話だよオイ」
「……いや、いい……」
 五十嵐の反応からして、俺の心配は杞憂らしいと分かり、思わずその場に脱力して座り込む。
「うおぉオイ、いいって何だテメぇ。人様のバスタイムにいきなり乱入してきやがって」
「ごめん……悪かった……いいんだ……大丈夫……」
「はぁああ?」
 だってものすっごい焦ったんだ。
 ……金曜の夜の、高嶺とのアレをもし換気扇のダクト通して聞かれてたらなんて考えたら。
 焦りもするだろう?

「おい佐倉っ、マジでキレんぞ。何なんだお前はっ?」
「五十嵐……、なんでこんな時間に風呂入ってんの……?」
 しかも湯船だ。
 俺、終礼終わって即行下校したはずなんですけど。絶対終礼サボってるよな?
「てめえ話逸らしてんじゃねえ。だりぃから午後フケたんだよ。風呂入って何が悪い」
「……あんた風呂好きってイメージねえよ…………」
「はぁあ? てめえ勝手に上がりこんできて何だその言い草っ」
「あーごめんなさい、すいません帰りますどうぞごゆっくり……」
「待ててめえっ」
「うっわ!」
 ザバァって音が聞こえたと思った時にはびっしゃびしゃになっていた。

「………………」
「不法侵入かましといてタダで帰れると思うなよ?」
 どうやら五十嵐が湯船の湯を手で大量に俺めがけて飛ばしてきたらしい。
「いやいやいや」
 ちょ、制服、どうしてくれんだ。
「どーいう意味だ、何時に寝たって? 何の関係があんだよ?」
「……いやー」
「吐け」
「いやぁー……」
 どうしよう。

「ええーっとですねえ」
 隣同士で何か、ネタ、ネタ……。
「結局何時に寝てたり……?」
「金曜はオールしたから寝てねえよ」
「えっ、オール?」
「週末だからな。外に行った」
「………………あぁそう!」
 思わずでかい声で大袈裟に頷いた。
 聞かれていたって線は完全に消えたわけだ……。
「いやー、なんつーか……、いやまあ、それなら関係ないって話でー」
「バスタイムに乱入されてる時点で関係ねえって屁理屈は通用しねえ」
「ですよねー……、あー、えーっと」

 ここに至ってふとあるネタを思いついた。
「……いや、今さ、あんた鼻歌歌ってただろ? それでもしかして原因それかなーとかって思ったんだけど」
「あ?」
「いやほら、今あんたの鼻歌が換気扇通してこっちの風呂場にも聞こえてさ」
「……苦情ってか?」
「いやいやいや違う違う。……そのさ、金曜の夜にさ、なんか聞こえたわけよ、換気扇から。なんか、声」
「………………」
「でー、あんたが起きてて風呂入ったりとかテレビ見てたりとかしたならー、それが聞こえたのかなーって思って確認を……」
「………………」
「でも部屋いなかったなら違う……よなぁ」
「……………………ゆ、ゆ、幽霊とかそういう話かっ」
「…………え、あ」
 言い訳にはピッタリだと思いついた話だったのに、意外なほどに五十嵐の顔色が青くなって、俺は少し面食らう。

「……た、たぶん?」
「………………」
「……………………」
 沈黙してしまった五十嵐の悲愴な顔を見て、俺はものすっごい罪悪感に襲われた。