99<いい人>

「やあ。悪かったね急に。やっと時間が取れて」
 陽丘さんは玄関でそう言った。
「いえ大丈夫です。どうぞ上がってください」
「ありがとう」
 物がそんなにない部屋だから特に片付ける程でもなかったけど、干しっぱの食器とか適当に片付けてる間にちょうど10分だ。

「ミルクティしかないんですけど、やっすーい紙パックの。いいですか?」
「あはは、大丈夫だよ気にしないで」
「はは、良かった」
 ソファにどうぞと声をかけてグラス二つにミルクティを注いでテーブルに置く。
「そういうところは樹香さんに似てるね」
「え、そうなんですか」
 答えながら俺は陽丘さんの正面に腰掛けた。
 そうだ。そういえば陽丘さんは母さんの昔からの知り合いだった。
「そういえば聞いてなかったんですけど、……母さんとはどういう?」
「うん、大学のサークルで」
「大学? そうか、母さん大学卒業してたんだ……」
「あはは、知らなかったの?」
「はぁ……」
 言われてみれば、知らなかった。
 というか、考えたことがなかった。

 知ってることは、父親が死んでから女手一つで俺達を育てたってことだけ。
 絵本作家とかやってたけど、特に絵とか勉強したわけじゃないって言ってたから、美大とかも想像しなかったし。
「今度もっとゆっくり時間が取れた時に話してあげるよ。今日はちょっと気になることがあってね」
「はぁ」
 さっきから、はぁしか言ってない気がする。
「……うん。会長とのことをね」
「げっ」
 あああ、ちょっと待て俺! 何を正直にげっとか言ってんだ!?
「何かあったの?」
 陽丘さんは緩い笑顔のまま尋ねてくる。

「……い、いやっ、特に話題にするようなことは何もっ」
「本当? 話は聞いてるよ。校内放送で高嶺君が君を口説き落とすって宣言したとか」
「…………いや、それは、その」
 そそそ、そうだよな。校内放送だもんな。
 先生も聞いてるだろうし、陽丘さんに伝わっても何の不思議も……。
「それに、丸山先生のところに、高嶺君、君のことを聞きにいったそうじゃないか」
「……へ。あ」
 そういえば、そんなこと、あったような。
「事故に対する精神的なこと聞いてきたって言ってたよ。何かあったんだね? それでそれを、高嶺くんも知ってるわけだ」
「…………あー、ぁー、……それは、その、ちょっと」
「何があったんだい? 丸山先生は、過呼吸のことを話したって言ってたんだ。なったのかい? 過呼吸」
「………………」
 俺は少しだけ沈黙して、いろんなことが始まったらしい、あの日のことを話そうと決めた。
 ……いやもちろん、そっち系の話題は全部省いて。

「……そうか。そんなことがあったのか」
「はぁ。まぁ。……たぶん変な夢でも見てフラッシュバックになったんじゃないですかね。普段忘れてるくせに、夢で見るとか相当迷惑な話ですけど」
「何か、……何か、やっぱり学校生活が負担になってるとか、そういうことはない?」
 陽丘さんは急に深刻な顔になる。
「いや別に……何も」
「でも入院中は夢に見たりとかなかったでしょう?」
「一回きりですよ。それに、ちょうどなんか、体調も悪い日で」
「本当に? なんか、色々騒ぎに巻き込まれたりしてないか? 学校の噂くらい僕の耳にも入ってるんだよ。丸山先生の話は聞いたんだろう? 君が痛みに苦手な風になってるって。君が一部の生徒から私刑対象にされてるのは知ってるよ。何かあってフラッシュバックが起こったら大変だ」
「だ、大丈夫ですよ」
 色々と尋ねてくる陽丘さんの表情は真剣で、俺は思わずドモってしまった。

「高嶺が……色々牽制してくれてますし、俺も気を付けてはいるんで」
「じゃあ火曜の校内放送は何だったの?」
「う゛えっ」
 うわあ、さっきよりマズイ正直な声が出た。
「……たまたま僕も校内にいてね。聞いたんだ。……君が夕香ちゃんの曲に仮歌入れてたことは知ってる。君の今の保護者は僕なんだよ? 事務所から返却された資料や荷物は僕のところにある。君の仮歌が入った曲も聞いたことがあるよ」
「なっ、なんで聞いてんですか!?」
「自分が後見人になる子のことを知っておこうと思ったその過程だよ。……で、なんであんなことになったんだい?」
「………………」
 今度はほんのちょっとの沈黙で話そうとは決められなかった。

「…………う、歌を……人に、聞かれて……、それが、友達のだと……勘違い、されて……」
 あぁぁ、どう説明すればいい!?
「で……、それで、色々、友達の方に……迫る奴が、いて……、バンドのボーカル、やれとか」
 とっ、とにかく強姦未遂云々は伏せた方がいいよな!?
「……で、あの歌は俺だから、友達に迫んのは意味ない的な……ことを、言ったら、……なんかこう、外見上みたいな理由で、信じてもらえなくて。で、なら歌えば信じるかと、思い……、結果、たまたま放送のスイッチが入ってて」
「……………………」
 あああ、どうしよう無言だ。

「……それ本当の話?」
「です!」
 詳細は伏せてるが、おおよその流れは間違ってないはずだ……。
「……まぁー、…………うーん、まぁ一応、信じてあげてもいいけど……。色々疑問は残るけどね……。なんで放送室なのかとか、スイッチ入ってたのかとか」
 陽丘さんは不信と苦笑と呆れをごちゃ混ぜにした感じで呟いた。
「…………いやホント色々重なって」
「そう。……で、そのバンドの話はどうしたの」
「え、もちろん断って」
「じゃあ、生徒会がまだ歌の主を探しているのは? 高嶺君に話してないのかい? 君の症状のことを尋ねに行ってくれるくらいは仲良くなったんだろう? それとも付き合うことになってたりするの? 前の学校では彼女がいたって話を聞いたことがあったから、男の子は対象外なんだろうと思ってたけど。……もしかして、変な別れ方で女の子トラウマになってたり」
「いやいやいやいやいやっ」
 うわー、否定と訂正と、色々あって大変だ。
 誤魔化しも要りそうだし。

「……いやあの、高嶺とは……その、まあ友達には、的な。感じで」
 俺、もう何回この説明したんだ?
「う、歌の事は、話すとまあ、ややこしくなるかなと……。音楽は夕香としか、考えたことなかったし……。か、彼女とは、確か別れましたけど……普通の自然消滅だし……。いや、だからと言ってショックじゃなかったわけじゃ……。あ、いや、別にそのショックで女の子がもういいってワケでもないし……」
 説明すればする程、俺、自分でも様子がおかしいって思う。
 おろおろするな俺っ、落ち着けっ。
「なんだか、困らせてるみたいだね」
「いやっ! そんなことは! あぁあ、あの、なんかすいません! せっかく学校通えるようにしてもらったのにっ、色々騒ぎばっか起こして……! もっと大人しくします!」
「……ぷふふ」
「えっ」
 陽丘さんから変な声が聞こえたと思ったら、陽丘さんは肩を震わせて笑っていた。

「……あはは、そんな、しどろもどろにならなくったって、とって食いやしないよ……、お、怒りにきたわけじゃないんだから……ははは」
「………………」
 俺、どうすればいいんですかね。
「はは、……その、様子じゃ……、学校生活を続けたいって意思は充分あるみたいだね」
「え?」
「いや、退院したばっかりでね、ご家族が亡くなってからまだ一年も経ってないのに、復学のタイミングがちょっと早すぎたんじゃないかって、そう心配してたんだ。学校生活が君にとって何か負担になってるようなら、もう少しゆっくりできる時間をとった方がいいんじゃないかな、とか」
「えっ、嫌ですよ! 普通に楽しいですしっ、それに俺これ以上ダブりたくないですって!」
 思わず、声を大にして訴えた。

「あはは、そこまでハッキリ断言するのなら安心かな」
「あ、いや、すいません、心配かけて……! わざわざ時間までとらせて……」
「いやいいんだよ。君と普通に話したかったってのもある。樹香さんの忘れ形見だからね。……急にあんなことになって、……すごく、残念だ」
「……はい」
 陽丘さんは急に感傷にひたるような面持ちになった。
 この人は、表情がころころ変わるんだな。
「眼鏡、外してみてくれないか?」
「え、は、はい」
 言われて拒否する理由もないので外してみせる。
「……うん、やっぱり樹香さんの面影があるなぁ。ほんとに樹香さんの子なんだね。……いや、彼女が四人もの子のお母さんって、未だに想像できなくてさ」
「はあ。……確かに、母親っぽくなかったですね」
 シングルマザーゆえだろうか。
「……あの」
 ちょうど顔の話題になったし、尋ねるなら今だろう。
「聞きたいことがあるんですけど」
 俺に顔を隠すように言ったその、真意。


「………………君の言うとおりだよ」
 俺の質問を聞き終えて、陽丘さんはそう言った。
「この学校はそれだけが本当にもう、悩みの種なんだけど。……君がそう簡単に流される人間じゃないのは分かってるつもりだったんだ。ただ、集団で無理矢理だとか暴力行為だとかもないわけじゃない。もしそうなった時、君はフラッシュバックを起こす可能性もある。最低限の抵抗もできなくなる可能性があると思って、……夕香ちゃんとのことも理由の一部にはあるけど、一番効果を期待していたのは、君の言うとおりの事だ」
「……そうですか」
「顔を隠すの、やめるかい?」
「…………いえ、今のとこは、このままでいます。今また噂が増えたり、変に目立ったりしたくないんで」
「そうか」

 それからしばらく、世間話みたいな普通の話をして、陽丘さんはそろそろ行かなきゃと席を立った。
 何かあったら遠慮なく連絡してねと言い残し、帰っていくのを玄関で見送る。
「………………」
 いい人だなと思った。
 後見人に名乗り出てくれたこともそうだし、何より、俺に対する態度が本当に家族に対するそれみたいだ。年の離れた兄さんとか、叔父とかがいたらこんな感じかもしれない。
 父親って言うには、若いしちょっと失礼だけど。
 本当、いい人だ。